中国で「黄帝祭典」盛大に行うもネット民は無反応――「令和」との違い
河南省新鄭市に建てられた2007年頃の「黄帝」と「炎帝」の巨大像 Donald Chan-REUTERS
4月7日、中華民族の始祖で最初の帝王とされる黄帝祭典が中央政府の主催により、河南省新鄭市で盛大に行われた。愛国主義教育の一環だが、中国のネット民は無反応だ。「令和」に対してはまだ関心が高いのはなぜか?
「黄帝故里拜祖大典」とは
中国古代の神話伝説的な「三皇五帝」の内の一人である黄帝(紀元前2717年~紀元前2599年)を中華民族の始祖として祭ることが、愛国主義教育の一つとして、江沢民時代に始まった。以来、黄帝の誕生日とされている旧暦3月3日になると、河南省新鄭市でその祭典が行われるようになった。
もっとも、2002年には「炎黄文化節」(炎:炎帝。三皇五帝の一人)として河南省レベルで行なわれていたが、2004年からは新鄭市を「黄帝の故里」と位置付け「黄帝讃歌」まで歌うようになり、2006年からは「黄帝祭典」が国家行事に格上げされている。
結果、河南省人民政府以外に「国務院僑務弁公室、国務院台湾弁公室」などの中央政府が主催者側に入るようになった。ということは、中国国内の人民だけでなく、世界中の華僑華人や台湾の国民をも対象として、台湾統一の目的を同時に兼ねていることが分かる。
中華民族の始祖を祭ることによって、「すべて同胞だ」と言いたいのだろう。事実、「黄帝故里拝祖大典」のスローガンの一つに「同根、同祖、同源」がある。
いずれにしても愛国主義教育基地の一つに位置付けられているので、愛国主義の精神を植え付けようとしているのは明らかだ。
今年の黄帝祭典を動画で観よう
たとえば今年の「黄帝故里拜祖大典」に関して、4月8日付の人民日報海外版には、「2019年は、まさに、新中国(中華人民共和国)成立70周年記念であり、五四運動の100周年記念である。したがって始祖を祭る祭典では"愛国"主題と"国家"意識を強化することが、テーマとして流れていた」とある。
旧暦の3月3日は、今年は4月7日に当たる。例年になく報道が華々しいのは、70周年や100周年など節目の年ということだけではなく、「令和」への中国ネット民(ネットユーザー)の熱狂的な反応を意識しているというニュアンスを個人的には感じないではない。
先ずは当日の中央テレビ局CCTVの報道を新華網が動画で流しているので、そちらをご覧いただこう(画像が出てくるまでに沈黙の時間があるが、辛抱していると出てくるので、少しお待ち願いたい)。