承認欲求は「最強」の欲求... では、バイトテロはなぜ起こるのか?
ある学生の友人(女子)は高校時代、生徒会長に選ばれるなど周囲からの人望が厚く、教師や友人からとても頼りにされていた。しかしその友人は内心、それを重荷に感じており、彼女はときどきその学生に気持ちを打ち明けることがあったという。その友人が突然、自ら命を絶ってしまった。それだけ悩んでいたのならもっと助けてあげられたのではないかと、いまでも後悔しているそうだ。付け加えておくと、まったく同じようなケースをほかでも聞いたことがある。(66ページより)
近年の教育現場においては、子供たちの自己肯定感や自尊感情の低さが問題視されているという。そのため児童・生徒をほめて育てようという機運が高まっており、実際にその効果は表れはじめているそうだ。そうした事実に関しては、納得できる方も多いのではないだろうか。
しかし、この例からも分かるとおり、副作用も大きいらしいのである。一般的に、ほめるのはよくて叱るのは危険だといわれている。だが受け止め方によっては、叱るよりほめるほうが危険な場合も少なくないということ。叱られたら反発する子も、ほめられたら否定することが難しいというのがその理由だ。
もちろん、どれだけ「認知された期待」が大きかったとしても、その期待に応えられるのであれば問題はないだろう。つまり「承認欲求の呪縛」に陥るかどうかは、本人がその期待からどれだけプレッシャーを受けるかによるということ。「認知された期待」から受けるプレッシャーこそが、「承認欲求の呪縛」の正体なのだ。
名著『夜と霧』の著者であり、精神科医、哲学者でもあるV・E・フランクルは、人間存在の意味を追求する「ロゴセラピー」を説き、関連してこう述べている。「恐怖症と強迫神経症の病因が、少なくともその一部は、患者がそれから逃れようとしたり、それと戦おうとすることによって起こる不安や強迫観念の増大にあるという事実に基づいている」(フランクル 一九七二、一七六頁)。
このような現象を「精神交互作用」と名づけたのが、「森田療法」で知られる医学者の森田正馬である。森田によると、そもそも神経症の不安や葛藤は正常な人にも生じる心理状態であり、自分にとって不都合な弱点を取り除こうと努力するほど、その意に反して自分に不都合な神経症の症状を引き出してしまう(岩井 一九八六)。(70ページより)
つまりは「期待を裏切ってはいけない」という意識が心のどこかにある限り、その不安を取り除こうとすればするほど、どんどん負のスパイラルに陥ってしまうということだ。しかも往々にして、「不安を取り除いてやろう」という周囲の気遣いが本人を追い詰めてしまう。