最新記事

国籍

国籍売ります──国籍という不条理(1)

2019年1月29日(火)17時50分
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)※アステイオン89より転載

このような賛否両論が交錯するのは、国家のメンバーであるということに、両義的な性格があり、矛盾した期待が投影されるからだろう。一方で国家は、一人一人のメンバーの生命や生活を守るための手段である。また民主的国家の場合、その正統性は人民の合意にあり、自由な個人が合意によって打ち立て、統治を委託しているのが国家なのである。自由な個人が、理性に基づいて契約を交わすことで国家が成立しているのなら、それは一つの合理的な仕組みに過ぎない。であれば、どの国に所属するのかも、市場で買い物をするのと同じように、それぞれの好みや必要に応じて合理的に決めればよいということになる。

だが他方で、国家にはメンバー間の感情的、文化的な絆に支えられた共同体としての側面もある。個人にとっては、それは合理的な目標追求の手段に尽きない、自分のアイデンティティの一部でもある。国家への帰属意識を支える人と人をつなぐ絆は、宗教や過去の記憶に基づく世界観や言語や慣習を共有することから得られる、合理的でも普遍的でもない何かに依存している。

とりわけ、一つの民族が一つの国家を形成するのが正しい国家のあり方だとするナショナリズムが支配的な国家形成の原理になった一九世紀以降、民族の伝統や文化が、国民的団結を支える仕掛けとして政治的に大々的に利用されてきた。それが人種主義や怪しげな神話と結びつき、深刻な病理的現象が生じたことは、ここで改めて繰り返すまでもないだろう。

だが、現在でも植民地から民族独立を実現するための闘争は正当であり、民族が分断されているのは悲劇であると広く見なされている。また世界の多くの地域で分離独立運動が展開されていて、独立国の数は一貫して増え続けている。ナショナリズムが過去のものになったとはとても言えそうもないのである。

※第2回:二重国籍者はどの国が保護すべきか?──国籍という不条理(2)

[注]
(1)https://www.henleypassportindex.com/passport-index もっとも別の格付けでは、一位はシンガポールで日本は三位とのことだが、いずれにせよ上位グループの常連であることは間違いない。https://www.passportindex.org/byRank.php

田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授などを経て現職。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。

当記事は「アステイオン89」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg



アステイオン89
 特集「国籍選択の逆説」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス

ニューズウィーク日本版 高市vs中国
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2026年1月27号(1月20日発売)は「高市vs中国」特集。台湾発言に手を緩めない習近平と静観のトランプ。激動の東アジアを生き抜く日本の戦略

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ネトフリのワーナー買収案、英政治家らが厳正審査要求

ビジネス

日銀、25年度の役員給与を改定 総裁は4.8%増の

ワールド

インド・EU、FTA最終合意 自動車・ワインなどの

ワールド

デンマークとグリーンランドの首相、独仏首脳と会談へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市 vs 中国
特集:高市 vs 中国
2026年2月 3日号(1/27発売)

台湾発言に手を緩めない習近平と静観のトランプ。激動の東アジアを生き抜く日本の戦略とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 2
    スペースXの宇宙飛行士の帰還が健康問題で前倒しに...宇宙船で一体何が?
  • 3
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 4
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 5
    一人っ子政策後も止まらない人口減少...中国少子化は…
  • 6
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 7
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 8
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰…
  • 9
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 10
    「外国人価格」で日本社会が失うもの──インバウンド…
  • 1
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 2
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 3
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 4
    データが示す、中国の「絶望的な」人口動態...現実味…
  • 5
    ラブロフ、グリーンランドは‌デンマーク​の「自然な…
  • 6
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 7
    ニュージーランドの深海に棲む、300年以上生きている…
  • 8
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」…
  • 9
    40代からは「積立の考え方」を変えるべき理由──資産…
  • 10
    麻薬中毒が「アメリカ文化」...グリーンランド人が投…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 5
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 6
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 7
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 8
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 9
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 10
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中