在日韓国人になる
こうした韓国人の態度と日本の修正主義的な歴史観がぶつかって互いを強化しあうという悪循環から抜け出すべく、彼が期待するのは在日韓国人である(三谷博ほか編『東アジア歴史対話』東京大学出版会、二〇〇七年、一七九頁)。両国の歴史問題を当事者間で収拾しきれないとの見込みから、独善的な二つの立場にくみしない歴史の調整役を在日に求めるあたり、彼は狡い。率直にいって重荷でしかない。それでも、半島の韓国人たる彼が在日を別コミュニティの者とみなし、その役割に期待するという態度は潔い。
彼の投げたボールをあえて筆者なりに受け取ってみるに、在日やマイノリティのみならず、大多数の良心的な日本人がヘイトスピーチやクライムの犠牲とならないためにも、希望の歴史をともに織ることが必要だと思う。
ドイツのジャーナリスト、カロリン・エムケは、排斥や憎悪に抗う戦術として「幸せの物語」を紡ぐことを提唱する(浅井晶子訳『憎しみに抗って』みすず書房、二〇一八年、一八五頁)。日本人とマイノリティが、あるいはマイノリティ同士が愛しあい、助けあい、傷をなめあう歴史・現在・未来は確実にあったし、あるし、あるだろう。それをともに振り返り、地道に歩むことは、死を避けるお守りとなる(3)。ことさら「多文化共生」などと、わざとらしく空念仏のごとく唱えずとも、すでに生活の現場には多文化の現実があることだけを見すえればよい。
ジャニーズの東山紀之は、幼少期を在日の多い神奈川県川崎市の桜本で過ごした。彼の一家が貧しい生活をともに乗り切った隣人は在日の母子で、彼自身たびたび豚足などを馳走になったと自伝で感謝している(『カワサキ・キッド』朝日文庫、二〇一五年、二一~二二頁)。
現在、その川崎では多国籍化が進み、朝鮮半島、中国のみならず、フィリピン、ペルーなどにルーツを持つ人も増え、一〇回をゆうに越す頻度でヘイトスピーチのデモが行われてきた(磯部涼『ルポ川崎』サイゾー、二〇一七年、七六頁)。それでも、在日をふくめ、デモの合間にマルチエスニックな祭りを地道に手がけたり、子どもたちの希望を守ろうとする施設や(ちょっぴりがらの悪い)ラッパー、ダンサーがたくさんあることを、磯部のルポは教える。
我々はいつだって不器用に支えあってきた。在日は、いつどこで誰がヘイトスピーチの対象となってもおかしくない時代、できる範囲で、自らが得意とするやり方で連携を進める責務くらいは負っていい。それが、絶滅危惧種たる立場に留まる者の粋というものだろう。
ジャーナリストの木村元彦は、ヘイトスピーチに反対する大阪でのパレードの際、在日に協力するLGBTの姿を描く。そして、そのパレードに参加したゲイの青年たちがソウルでのLGBTのデモに参加すると、今度は大阪で支えられた在日の青年が応援に駆けつけた。彼はこう振り返っている。
日本から〔ソウルに〕応援に来たゲイの子らが泣けるんですよ。「韓国語で差別反対って何ていうの?」て聞いてくるんで教えてあげたら、たどたどしい韓国語で一生懸命「チャビョル・パンデ(差別反対)」って叫んでるんですよ。(木村『橋を架ける者たち』集英社新書、二〇一六年、一九六頁)