永住者、失踪者、労働者──日本で生きる「移民」たちの実像
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シェルターを運営する平文敏(63)はかつて高校の社会科の教員だった。郡山に生まれ、退職後の現在は小学校の支援員をしている。実習生のことは前からニュースなどで見聞きしていたが、自分が関わるとは思ってもいなかった。きっかけになったのは彼が通っていたカトリック郡山教会だった。
数年前から目に見えてベトナム人が増えだした。フィリピン人もいる。そのうち同じ神を信じる者たちの間で出身を超えた関係性が生まれ始めた。17年後半のある日、今年1月にシェルターを立ち上げた人物が平に物件の相談を持ち掛ける。平は自分の親がかつて住んでいた家を提供することに決めた。夏頃からは平自身がシェルターの運営を行っている。
穏やかな口調で、ゆっくりと、平はこう話した。「彼らは二重にも三重にも裏切られています。本国の送り出し機関からも金を取られ、日本の監理団体からも間接的に金を取られる。一人一人が本当に大変な運命を背負ってきていて、気の毒だなと思います」
実習生は出身国の送り出し機関に多額の渡航前費用を支払うだけでなく、日本側でも、実習先企業から監理団体への管理費の支払いを通じて、給与を間接的に圧縮され続ける。加えて、もともと言われていたのとは違う仕事に従事させられたり、些細な理由で強制帰国を宣告されたりすることまである。でも、と平は続けた。「あれだけの体験をしてもなお、彼らは日本の良いところを口にする。こちらのほうがむしろ助けられているという思いです」
実習生たちにとってこの日本という国で過ごした時間はどう映ったのだろう。北海道の実習先から逃げた彼女はベトナム人に技能実習を「お薦めできない」と話した。ただ、いま周りにいる日本人たちにはとても良くしてもらったと感じている。「日本人にもベトナム人にもそれぞれ良い人と悪い人がいるよ」
この日出会った別の実習生は、知らないうちに福島県で、技能実習であるとは認められない「除染作業」に従事させられていた。彼に技能実習制度について聞くと、自分はたまたま運が悪かったが、ほかの企業のことは分からないと答えた。日本自体には好意的な印象を持っており、日本語も必死に勉強して上達したという。
しかし、「運の問題」で済ませてしまってよいのだろうか。全統一の佐々木は言う。「社員同士がけんかしただけで解雇をするなんて法律があるのか。見せしめのために定期的に何人か強制帰国をさせるというケースも頻発しています。実習生には日本の非正規労働者よりももっと保護がない。実習生本人は『運が悪かった』と言うかもしれないけれど、そもそも彼らは権利主張自体ができない構造の中に置かれているんです」
昨年、厚生労働省は実習生を雇用する5966の事業所への監督指導を行ったが、そのうち7割以上で法令違反が見つかった。どう考えても運の問題ではなく、この国の深部に埋め込まれた構造的な問題だ。そして、その構造の上で、今日も明日も、冷凍の魚が生産され続けていく。ひとたび皿の上にのってしまえば、その魚がどこから来たか、誰の労働の成果なのか、気に掛ける者などほとんどいない。
第3章:労働者たちのリアル
郡山での取材を終え、その足で大阪府豊中市へと向かった。ベトナム人労働者たちのグループ「在豊中市ベトナム人協会(TVA)」のメンバーに会うためだ。近年、豊中だけでなく日本全体でベトナム人の増加が著しく、外国人労働者全体の中でベトナム人は中国人に次いで2番目に大きな存在にまで伸長した。そんなベトナム人たちが豊中で2年前に自ら結成したグループがあると知り、ぜひ直接会って話を聞きたいと思ったのだ。
日曜日の朝、豊中駅前にある公益財団法人「とよなか国際交流協会」でTVAのリーダーを務めるディン・ホアン・ヴー(32)と待ち合わせた。今日は午前にサッカーの活動、午後に日本語のクラスがあるという。TVAができる以前はそれぞれの企業に勤めるベトナム人の間でしか交流がなかったが、今は勤め先を超えたつながりが生まれているのだとヴーは言う。
忘年会などの集まりに実際に顔を出すのは60人程度だが、TVAのフェイスブックグループには近隣で働く数百人ものベトナム人が登録していて活発に情報交換をしている。また、サッカーや日本語以外にも料理や卓球などさまざまな活動を行っているそうだ。TVAには技能実習生もいれば、専門的・技術的な在留資格の1つである「技術・人文知識・国際業務」ビザを持って町工場で働くエンジニアも交ざっており、ヴー自身は後者の持ち主だ。
ヴーと電車に数駅乗って、TVAのメンバーがサッカーをしている線路沿いのグラウンドまでやって来た。快晴の空の下で、赤と白のユニフォームに分かれたベトナムの若者たちが7対7の練習試合をしていた。思ったよりかなりレベルが高く、みんなはつらつと走り回っている。ハーフタイムの時間を使いながら、メンバーに1人ずつ話を聞いていった。