永住者、失踪者、労働者──日本で生きる「移民」たちの実像
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ゴールキーパーのチュ・ズック・ホア(28)は道路の舗装などを行う会社に勤める技能実習生。男性ばかりが35人ほどの職場のほとんどが50代以上の日本人で、なかには75歳の人もいる。毎朝6時からの厳しい肉体労働で、帰宅後は「しんどくて遊びに行きたくても無理」だとホアは言う。
彼の勤め先は繁閑の差が激しく、仕事が少ない時期は月給が7万円しかない。ベトナムに残した妻と2人の娘を養うため、給料の8割は送金していて手元にはほとんど何も残らない。生活は大丈夫ですか?と尋ねると「まあ、たまに足らんですよね」と笑顔で答えた。それでもこの2年強で、渡航のためにつくった約150万円の借金は返しきったという。
知人にはやむにやまれず失踪を選んだ実習生もいる。来日前に言われた額より低い給料しかもらえず、借金も返せない。「しゃあないですね」とホア。自分も給料は少ない。逃げることが頭をよぎったこともある。それでも監理団体の組合や社長に掛け合い、この夏から最低賃金に少しだけ上乗せしてもらった。
実習生は家族を呼べないルールだが、最近は3歳の娘が病気にかかってしまって気が気でない。現在のビザが切れる来年夏に一旦帰国する予定だが、そのとき、空港で家族に会ったら「もう、泣いてしまうと思う」。
それでもホアは日本に戻ってくるつもりだ。技能実習の期間を現在の3年から5年に延ばすことも考えている。いま国会で議論されている新しい在留資格のこともネットで調べた。将来は「奥さんと子供を連れて一緒にずーっと日本に住みたい」と言う。
「サッカー楽しいです。毎日仕事でストレスもたまっているから」──ボオ・カック・ディエップ(28)は「技術」のビザで3年前に来日したエンジニアだ。
収入は20万円を少し超えるくらいで実習生に比べてかなり高い水準。技術ビザなので家族を呼ぶこともできる。少し前までは豊中市内で妻と暮らしていたが、1人目の妊娠が分かって妻だけ里帰りした。「私、仕事したら誰もいないから、(家で)1人はしんどいと思うから」
翌日、ディエップが週6日働き、自分の「家みたい」だという上原精工を訪ねた。1980年創業で金属加工業を営む上原精工は、豊中の本社工場に加えて伊丹と奈良にも工場を保有している。
28人の社員のうちベトナム人が10人。日本人の採用難で09年からベトナム人実習生の採用を開始した。しかしその後は全て実習生から「技術」ビザのエンジニアへと切り替えたという。その意図を、本社工場長の上原大輔(36)はこう説明する。
「最初の実習生にはとても満足だったが3年しか日本にいられないのがネックでした。うちらの仕事も覚えることが多いんで、2年ぐらいたってようやくまともになってくるかなという時期で、3年で帰られるのは悲しいなあと。技術のビザであれば互いの同意があれば何度でも更新できますから」
人手不足で日本人の若者が採用できない。だからこそ外国人でも長く働いてくれることが最優先で、そのためなら実習生と技術ビザとの間に存在する10万円程度の給与水準の違いも「妥当」だと考えている。「それでもまだまだ賃金上げろって言ってくるんですけどね」と上原は苦笑しながら言った。
定住や永住への道を描かない政府の姿とは対照的に、外国人労働者の受け入れ現場の多くは事業を長期的に支えられる基幹的な労働者を望んでいる。しかし、日本での滞在が長期化するということは、家族と暮らし、子供が生まれ、教育や社会保障などさまざまな社会システムの利用者となっていくことも意味する。その現実を直視することは、外国人労働者を受け入れる企業だけでなく、社会全体の覚悟を問うことにもつながっていくだろう。
労働条件をめぐって緊張が走ることもある。上原精工でも、ディエップから会社に賃上げを求めたことがあった。「一番頑張っている彼が言うのは分かる」と上原は言う。ただ「今は赤字だから黒字化が見えてくる4月まで待ってくれ」とも伝えた。
初期に採用したベトナム人たちの給与は既に30万円程度まで上げている。「彼らはあと3年ぐらいで永住ビザが取れるので、取りあえずそこまでは頑張るみたいな話はしてましたけどね」。使い捨てではなく、日本人と同じ扱いで、全ての工程を自分一人で何でもできるところまで持っていく方針だ。
これまで採用した13人のベトナム人で離職したのは1人だけ。その秘訣を上原に聞くと、ベトナム人の社員に対して自分や伊丹工場長の弟が直接指導しているのだと教えてくれた。本当は日本人のベテラン工員から指導してほしいのだが、そう簡単にはいかないのだとも。
どうしても懸念されるのは言葉のこと。「難しい仕事になってくると他社との打ち合わせもあるので、ベトナムの子らだと技術が分かっても話のほうで苦労するかなと」
さらに、外国人労働者としてはベトナム人だけを採用してきたなかで「日本語が上達するスピードが遅くなってきている」とも感じている。ベトナム人同士で仕事ができてしまうために、日本語を使わなくてもいい環境が生まれているからだ。これからはもう少し出身国を分散させることも考えているという。