中高年男性が軒並みハマる「孤独の美学」 世界が取り組む課題に取り残されるニッポン
世界では、「孤独は現代の伝染病」として、社会を挙げて、調査や対策が進められているが、日本では「孤独」はあくまでも個人の心の持ちようの問題であり、各人や家庭で我慢するなり、対処しろ、というスタンスだ。
「孤独」を肯定することで、やり過ごそうという中高年とは対照的に、若年層は、真剣にこの問題に向き合い、苦悶している。ユニセフの2007年の調査によれば、孤独感にさいなまれている15歳の割合は29.8%と先進国の中でもずば抜けて高かった。これはほかの国々の3~5倍の水準だ。
筆者は今年2月に日本人の孤独問題について掘り下げた『世界一孤独な日本のオジサン』を出版した。「孤独礼賛本」に比べると、売れ行きは数十分の1といったところだが、多くのメディアに関心を持っていただき、取り上げていただいた。
気がついたのは、取材に来る記者のほとんどが20~30代の若い年代の人たちであるということだ。肝心のオジサン世代は「余計なお世話だ」「ほっておいてくれ」という反応が多い一方で、若者世代は、直感的に、そして、本能的に、「孤独は我慢してやり過ごせる問題ではない」ことに気づいているように感じた。
「自分一人を楽しむ時間」とか「同調圧力に屈しない」といったように、辞書をも無視する解釈で、「孤独不安症」の人々にとって聞こえのいいレトリックが振りかざされているが、「孤独」とは、本来、"孤"児のように誰も頼る人がいないといった不安な気持ちを指す言葉だ。孤独の苦しみは、のどの渇きや飢えと同等、と言われる。身を切るようにつらいのはそれが「水を飲みたい」「食べたい」という強烈な欲求となって表れるのと同様に、「人とつながりなさい」という脳からの警告であるからだ。
昭和の「やせ我慢強制世代」の価値観
そうした本能的欲求を何とか押さえつけて、飼いならして、一人で我慢しなさい、もしくは人とかかわるのは面倒だから一人でいい、というのが日本の中高年世代の考え方である。しかし、うつ病や、心臓病や認知症など、さまざまな精神的・肉体的な病気のリスクを高めるなど、「孤独」が精神的・肉体的健康や幸福感に甚大な悪影響を及ぼすということは無数の科学的研究で明らかになっている。
現在の日本の主流の考え方は「運動中は水を飲むな」という昭和のスポコン部活のロジックに近く、八甲田山の行軍のごとき理不尽さなのである。
こうした健康への影響が、病気などの原因となり、国家財政を圧迫する大きな社会コストとなるととらえられ、海外では対策が進められているが、心配なのはそれだけではない。長期的な孤独の中で、人は不機嫌になり、自己中心的・攻撃的になりやすい、と多くの研究は示唆する。
生涯未婚率もうなぎ上りで、単身世帯も増加する中、長期的に孤独の人が増えれば、日本は不寛容な社会へと変質していく可能性がある。社会は冷笑的になり、人嫌いが増える。ある調査によれば日本社会は「積極的に社会とかかわる」「深く考える」という人が減り、「社会とは一定の距離を置く」「刹那的に生きる」という考え方に振れる人が増えている。高齢者クレーマーの増加など「不機嫌な孤独社会」の萌芽はそこかしこに見えている。