最新記事

国際政治

ドイツがリベラルな国際秩序の「嫌々ながらの」リーダーである理由

2018年8月11日(土)11時45分
板橋拓己(成蹊大学法学部教授)※アステイオン88より転載

こうしてユーロ危機に対応するなかで、ドイツはとりわけ国外からあらためて「問題」化された。債務危機に陥った諸国では、ドイツの支援の遅れは独善性の表れだと非難された。また大規模な支援措置をとっても、たとえばギリシャでは、構造改革は「ドイツに強制された」という言説が溢れ、ナチによる占領の記憶を呼び覚ますかたちで、「ヒトラー=メルケル」というプラカードが街頭デモで掲げられた。

他方で、かつてないほどEUにおけるドイツのリーダーシップを期待する声もある。二〇一一年にポーランドのシコルスキ外相がベルリンで「わたしはドイツの力よりも、ドイツが何もしないことをより懸念し始めている」とまで述べたことは、二〇世紀までのドイツ=ポーランド関係を考えるとき、極めて注目すべきことであった。

こうして、たとえば著名な政治学者ミュンクラーなどは、ドイツはいまや「覇権国」として行動すべきだと主張している(*13)。しかし、いまだドイツは「嫌々ながらの覇権国(リラクタント・ヘゲモン)」(二〇一三年の『エコノミスト』誌の特集で有名になった表現)である。ドイツは十分な力を持っているにも拘らず、歴史的な経緯や国内政治的な制約からEUでリーダーシップを発揮しない(あるいはできない)のである。重要なのが、ヨーロッパ統合への国民のコンセンサスが、ドイツでも次第に弱まっていることである。ドイツでは主要政治エリートの「ヨーロッパ・コンセンサス」が強く、それゆえ選挙でもヨーロッパ統合は争点となりにくく、さらに制度的に国民投票が存在しないので、国民のEUに対する反感が、あるとしても見えにくい構造になっている。

そうしたなか、ユーロ危機後、ドイツ国民もEUへの懐疑を表明しつつある。二〇〇三年のシュレーダー政権による「アジェンダ二〇一〇」は、規制緩和、労働市場改革、社会保障改革を進めた。こうした痛みと犠牲を伴う改革によって、国内産業の競争力が高まり、ドイツ経済は好調を維持しているという認識が多くのドイツ国民にはある。それゆえ、ドイツ国民がギリシャなど南欧諸国に向ける視線は厳しい。ドイツ国民から見ると、彼らは「怠け者」なのであり、そこから「ドイツのようになれ」という言説もでてくる。

さらに見逃せないのは、この間の独仏関係の変化である。ドイツとフランスはこれまで「独仏枢軸」などと形容され、ヨーロッパ統合の推進力であった。しかし、独仏関係がEUのなかで持つ重みは相対的に軽くなっている。加盟国数の増加によって多数派形成のポリティクスが複雑となり、独仏だけでEUを牽引することは難しくなったし、独仏間でも足並みが揃わない事例が増えてきた。さらにユーロ危機のなかで独仏の財政哲学の違いが顕在化し、そのうえで実際の危機対応がドイツ主導で進んだ意味は大きい。そもそも「独仏枢軸」は、フランスが主導しドイツが追従するというかたちでスタートしたが、ユーロ危機対応で、この主導と追従の立場は入れ替わったのである。二〇一七年五月にフランス大統領選で勝利したマクロンは、果敢なEU再建策を打ち出しているが、その成否もドイツの新政権次第というのが現状である。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ネットフリックス、ワーナー資産買収で合意 720億

ビジネス

アップル、新たなサイバー脅威を警告 84カ国のユー

ワールド

イスラエル内閣、26年度予算案承認 国防費は紛争前

ワールド

EU、Xに1.4億ドル制裁金 デジタル法違反
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い国」はどこ?
  • 2
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開きコーデ」にネット騒然
  • 3
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...ジャスティン・ビーバー、ゴルフ場での「問題行為」が物議
  • 4
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 5
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 6
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 7
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 8
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 9
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 10
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 1
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 2
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 5
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 6
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 7
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 8
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 9
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 10
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中