メディアが単独で戦争の記憶をつくるのではない
――4つの記憶の領域のうち「個人の記憶」について補足してほしい。戦争を体験した人々が覚えていることと、実際に起きたことを、どうしたら見分けられるのか。
厳密に言えば、過去のことを思い出すのは個人だけだ。つまり、共通の記憶についての議論は全て、個人の記憶をメディアや大衆文化、公的なスピーチなどで表現される戦争観に結び付けて考える必要がある。脳科学者によれば、私たちがある記憶について思い出すとき、それを倉庫のようなところから引っ張り出してくるのではなく、思い出そうとするたびに脳の中のさまざまな部分からさまざまな成分を引き出してきて記憶を「再構築」するという。
自分自身が体験したことについての記憶でさえ、年齢や心理状態、社会的背景、政治的な風潮や最近見た映画など、さまざまな要因によって(無意識に)影響を受けている。個人の記憶と実際にあったことの間に直線的な結び付きがあるとは言えないだろう。
個人の記憶についてもう1つ言えるのは、ある個人が自分の戦争体験をよく覚えていても、それについて話さないということだ。例えば兵士であれば勝者側と敗者側の双方、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者や終戦時のベルリンでソ連軍に強姦された女性たちなど、戦争を体験したたくさんの人々は当時の暴力や恐怖について語ることをしなかった。
年がたってから口を開く人もいるが、一生語ることのないまま亡くなる人もいる。後になって話し始める人たちは、自分の物語が社会に受け入れられるようになった、という共通の記憶の変化に反応して口を開くことが多い。個人とは社会的文脈の中で思い出すわけだ。
戦争を体験したことのない世代の個人の記憶も同じように構築されるが、戦争そのものというより戦争について話される物語を覚えているというように、より非直接的な記憶になる。しかし、これらいわゆる「ポスト・メモリー」も、戦争体験と同じくらい力を持ち得るだろう。
ニューズウィーク日本版2017年12月12日号
「コロンビア大学特別講義 第1回 戦争の物語」
CCCメディアハウス
ニューズウィーク日本版2018年3月20日号
「コロンビア大学特別講義 第2回 戦争の記憶」
CCCメディアハウス
※本記事はこの特集号からの転載です。
※コロンビア大学特別講義 第3回「『慰安婦』の記憶」特集号は、3月20日に発売予定です。
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