「遺伝」という言葉の誤解を解こう:行動遺伝学者 安藤寿康教授に聞く.1
――だとしたら、大学の無償化は無意味ですか?
安藤:僕は大学に限らず、「すべての教育」は無償でなければいけないと考えています。これは経済的な理由ではなく、生物学的な理由からです。
人間が他の動物とは大きく異なる点の1つとして、他者を教育することが挙げられます。チンパンジーも一見すると子どもを教育しているように見えますが、自分勝手な動作をしているだけであり、他者がその動作を学んだかには関心を持っていません。
では、人間はどうして時間や労力といったコストをかけてまで他者を利する教育を施すのでしょうか?
それは、他者を教えることで、自分自身が生きやすくなる、いや進化的には自分と同じ遺伝子を持つものが生き延びやすくなるというメリットを得られるからです。子どもが食物を効率的に取れるようになったり、自分を生かしてくれる文化が維持され発展して豊かに暮らせるようになったりする。僕はそれが教育の生物学的な発祥だと思っているんですよ。他者に教えるというのは、本来、自分のためであり、「自分たち」のためなんです。それは「そうあるべきである」という意味じゃなく、「事実がそうだ」という意味です。
そう考えると----論理が飛躍するように感じるかもしれませんが----大学だけを無償化することはおかしくて、すべての教育は本来無償であるべきでしょう。
――すべての教育、ですか?
安藤:つまり教育というのは、そもそもプライベートイベントではないということです。公共性がある。というかプライベートとパブリックを橋渡しするプロセスを担うのが教育なんです。「私の才能」は私だけのものではなく、人のために育てるもの、誰かの才能は、その人のためだけじゃなく、私のためにも育ってもらわなければならない。
誰かがこれをやってみたいと感じることで、なおかつ他の人もその人にそれをいっしょに、あるいは私の代わりに、やってもらいたいという何らかの恩恵を得られる知識や技能を学習してもらう場としての教育、ということになるでしょうね。
イメージとしては徒弟制に近いかもしれません。例えば、どこかの工房や厨房がやる気のある新人を雇っても、最初のうちその人は使い物にならないじゃないですか。だけど、半年か3年かはわかりませんが、見習い期間の間も、親方はその人に給料を払ったり食住をあてがったりします。絵を描く仕事なら、最初は筆を洗うといった下働きから始めて、仕事の全体像を実践で学んでもらうわけです。こういう時に、授業料はとらないでしょう? そういうコンセンサスが社会に必要だと思います。
現に、ヨーロッパは大学まで無償であるところが多い。国の教育への投資量と国民の教育負担率はきれいに負の相関があり、所得税率ともきれいに相関します。日本は先進諸国の中で、国や自治体の教育投資は最低、個人の負担率は最高レベルです。自分でお金を出さないと教育を受けられない。でもうちの学生にそのことをデータで示して教えても、それがあたりまえと思う人が多い。「私が高いお金を出して高等教育を買える」ということと、「宝石を買える」ということの区別がなされていない。これはやはり原理的におかしいと思います。慶應の学生がこれでは困るんです。
大学に関しても、自分の研究で食っていける研究者が、才能のある人、やる気のある人の面倒をタダで見てやるのが理想的です。荒唐無稽に聞こえますが、慶應義塾にしても最初はそういうところから始まったと思うんですよ。もっとも、今の日本の大学人は完全なサラリーマン、学生も教室にいるときしか学生じゃない「なんちゃって学生」「パートタイム学生」になってしまっていますが。
今の時点では、非現実的な理想を言っていることは百も承知です。しかしこの「そもそも論」を妥協してぶれてしまったら、どこで「本物」が成り立つのでしょう?
幸いにして、そんな大学でも「ホンモノの学生」との出会いはときどき、僕の場合は何年かに一度、あります。ついでに言えば、「なんちゃって学生」も人間としては魅力的ですし、「なんちゃって」が「ホンモノ」に化けることもまれにあります。だから僕も大学人をやっていける。その機会に出会わせてもらうために、学生から学費をいただき、国(国民の税金)からもお金をいただき、そこから給料を頂戴して「教えさせていただいている」わけです。でも、研究だけで食べていけるなら、そういう学生になら、お金抜きに教えたいと思うでしょう? 実際、科研費(これも税金)でそういう研究者の卵を雇って育てる仕組みはある。本物の大学教育はそこからです。
(その2)に続く。
<プロフィール>
安藤 寿康(あんどう じゅこう)
1958年 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学文学部教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。主に双生児法による研究により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティに及ぼす研究を行っている。著書に『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)、『遺伝マインド』(有斐閣)、『心はどのように遺伝するか』(講談社ブルーバックス)など。