日中間の危険な認識ギャップ
あるいは、二〇一五年五月、習近平は日中観光交流の夕べ(中国の呼称は「中日友好交流大会」)で演説した。二階俊博総務会長(当時)が、三〇〇〇人以上の日本人を率いて訪中した際のイベントである。そこで習近平は、「皆さんを通じて、多くの日本の人民に心からのご挨拶と祝福の言葉を申し述べます......日本国民もあの戦争の被害者です......子々孫々の世代に至る友好関係をともに考え、両国が発展する美しい未来をともに作りだし、アジアと世界の平和に貢献しなければなりません」と述べている。しかし、「侵略行為を歪曲、美化しようとするいかなる発言や行動も、中国国民とアジアの被害国の国民はこれを認めないし、正義と良心をもった日本国民もこれを認めないことを信じます」という一文もあった。日本の一部のマスメディアはそこを捉まえ、「歴史歪曲許さない 習主席」という見出しをつけて報じたのだった。
【参考記事】米中、日中、人民元、習体制――2017年の中国4つの予測
恐ろしいほどの認識ギャップの多くは、情報ギャップから生じていると言ってよいだろう。ここで、マスメディアが果たしている役割は大きい。先の日中共同世論調査によれば、中国人の八九・六%が日本についての情報を自国のニュースメディアから得ている一方、日本人の九五・八%が中国についての情報を自国のニュースメディアから得ているという結果が出た。ここで興味深いのは、自国メディアの報道が客観的で公平だと考える日本人が二〇一五年に一九・五%だったのに対し、中国人の七五・九%がそう考えていたことである。中国人のメディアリテラシーは、国内報道については相当高いと言われるものの、ナショナリズムが高まっているせいもあるのか、国際報道については批判的な受け止め方が少ないようだ。
しかし問題はマスメディアだけに限らない。二〇一四年一一月のことだったと記憶しているが、北京大学で国際会議が開かれた際、中国の元外交官が招かれてディナースピーチを行った。なんとそこで彼女は、「日本は戦争について中国に謝ったことがない」と述べたのである。会場に日本人は私ひとり。信じられない思いだったが、質問の手を挙げて追及したところ、どうやら本当に忘れていた様子であった。人間の認識は日々接する情報によって形作られるのだとしたら、中国共産党内を流通している情報の質に問題がある可能性は高い。
情報ギャップの解決には、直接交流に如くはない。相手の目を見て、気持ちを通わすことが重要だ。八月に行われた、日中のシンクタンクの交流会では、「相手の立場に立って考え、とにかく手を出さない」ことでコンセンサスに達した。その話を中国の別の友人にすると、吃驚して、「公共の場では合意できないだろう」と言っていた。強気になり、いきり立っている中国全体の雰囲気を変えるのは大仕事だ。少しずつでも公論外交を進めて、認識ギャップを埋めてゆかねばならない。
高原明生(Akio Takahara)
1958年生まれ。東京大学法学部卒業後、サセックス大学で修士号および博士号取得。笹川平和財団研究員、在香港日本国総領事館専門調査員、桜美林大学国際学部助教授、立教大学法学部教授などを経て現職。現代中国政治、東アジア国際政治が専門。著書にThe Politics of Wage Policy in Post-Revolutionary China(Macmillan Press)、『日中関係史1972─2012I政治』(共編著、東京大学出版会)、『シリーズ中国近現代史⑤ 開発主義の時代へ1972─2014』(共著、岩波書店)など。
『アステイオン85』
特集「科学論の挑戦」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス