日中間の危険な認識ギャップ
もちろん、日本側から見れば事態はまったく逆である。中国側は、一九九二年の領海法制定の際に「釣魚島」(尖閣諸島)を自国領土のリストに書き込んだ。それ以来、この問題に触れないという過去の約束を破って、徐々に手を出すようになった。九〇年代後半より調査船が来るようになったかと思えば、二〇〇四年には「民間」の活動家が魚釣島に上陸し、入国管理法の適用を受けて逮捕、強制送還された。〇六年には海上保安庁に相当する国家海洋局が「東シナ海領土定期巡視制度」を制定し、恐らくはそれに則って〇八年に初めて主権を主張する目的で中国の公船が尖閣諸島の領海に侵入した。一〇年の漁船衝突は明らかに先方が体当たりしてきたのだし、国による尖閣諸島の購入は事態を鎮静化させるためで、実効支配を強化するためではない。関係が緊張した原因は中国が実力を強化して行動し始めるようになったからで、やむをえず我々は反応しているのだと考える。
安倍総理は、二〇一三年末に靖国神社を参拝した。その原因については、民族主義を煽り、自分の人気と求心力を高めるためだったと多くの中国人が考えている。しかし、日本で多くのメディアが実施した世論調査の結果によれば、参拝するべきではなかったと考える人の割合の方が、参拝してよかったと考える人よりもやや多かった。例えば、朝日新聞の世論調査では前者が四六%、後者が四一%であった。でも、それは朝日だからだろう、という声もありえよう。では産経FNN合同世論調査ではどうだったか。なんと五三・〇%が参拝を評価しないと答え、三八・一%が参拝を評価するという結果であった。要するに、靖国神社参拝は民族の凝集力を高めることも無かったし、安倍総理の人気を上げることもなかったのである。
最近では、天皇の生前退位問題が中国でも話題になった。なぜ天皇は生前退位を希望するのか。それは、リベラルな天皇と、政治的にそりの合わない安倍総理との間にあつれきがあるからだ、という類の話が中国の各種メディアで流布した。天皇制は、中国人にとってわかりづらい問題の一つであるようだ。昭和天皇が危篤になり、長く病床にあった際、中国を旅した日本人の文学者に興味深い話を聞いたことがある。およそ政治の話を普段はしないような中国人の文学者仲間たちが、別々の都市で同じことを話しかけてきたという。「皇太子はいま、じりじりしているでしょうね」と。権力に対する感覚は、日本と中国とで大いに異なる。
しかし、誤解は中国側だけにあるのではない。日本では、習近平はいつも歴史問題で日本に厳しいという認識がある。例えば、二〇一四年一二月、中国は初めて南京大虐殺犠牲者追悼式を開催した。また歴史問題か、と顔をしかめた日本人もいたことだろう。しかし、そこで習近平は何を語ったのか。「少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたからといって、その民族を敵視するべきではない。戦争の罪の責任は少数の軍国主義者にあるのであって、人民にはない」。毛沢東や周恩来らが唱えた、戦争責任者と一般国民を分ける「二分論」を否定する言説すら出ていたここ数年の状況を、元に戻したのである。