最新記事

インタビュー

「アメリカ人は憲法を神聖視しない」阿川尚之氏に聞く米国憲法の歴史と憲法改正(前篇)

2016年8月30日(火)11時13分
BLOGOS編集部

憲法訴訟は珍しいことではない

――日本でも国家賠償や、刑事訴訟で最高裁判決が話題になることがありますが、個人が憲法訴訟を起こすという感覚はあまり無いように思います。アメリカではどうでしょうか。

阿川:トクヴィルが「アメリカではあらゆる政治問題が司法問題になる」と言っていますが、さらにそのうちのかなりの部分が、憲法にかかわる問題になる印象があります。訴訟で憲法を持ち出すことへのためらいは、少ないのかもしれません。

 もちろん一般人が憲法の細かな規定やその意味するところまで知っているわけではないし、「この罰金刑は憲法違反だ!」などとすぐに考えることは少ないでしょうけれども、弁護を引き受けたロイヤーが、憲法上の争点を発見して議論に使うということはしょっちゅうあります。

 たとえば1995年の「合衆国対ロペス事件」。テキサス州のある公立高校に通うロペス少年が、銃を持って登校しました。ロペス君は、中学や高校への銃持参を禁じる連邦法に違反したとして、起訴されました。これに対し彼の弁護人が、「学校への銃持込みを禁止する法律の制定権限は連邦議会に与えられておらず、したがってこの連邦法は無効でありロペス君は無罪だ」と主張したのです。最終的に最高裁はこの主張を認め、「この連邦法は違憲だ」という判決を出しました。

 この判決の背景には、アメリカの連邦制のもとで、連邦議会の立法権と州議会の立法権の境はどこにあるのか、連邦議会の立法権には限界があるのかという、古くて新しい憲法問題があり、最高裁はこの事件で連邦議会の立法権は無制限ではないという判断を示したのです。しかしロペス少年にとってみれば、理屈はともかく無罪放免になり、自分の名前が憲法史に残った。「どうして俺が有名人になるんだ」という感じだったでしょうね(笑)

人種差別の是正も憲法解釈で

――合衆国憲法史は、多くの人々が奴隷制度や人種差別などと戦う中で、憲法解釈を変えていった歴史でもあります。

阿川: 1892年、黒人の血が8分の1入った男性がルイジアナ州の鉄道で白人専用列車に乗りました。白人と黒人は別の鉄道車両に乗らねばならないと法律で定める同州の人種隔離政策に反対する運動の一環として、あえて自ら逮捕されたうえで、この州法は違憲だと主張し、連邦最高裁まで行って争ったのです。

 合衆国憲法修正第14条は「法の平等保護」を謳ってはいるものの、その「平等」とは何か、ということについては書いていないわけです。最高裁は1896年の「プレッシー対ファーガソン事件」の判決で、修正第14条のもとで白人と黒人は平等だけれども、同条は両者を分離することを禁じていないと解釈して、白人専用列車を設ける州法を合憲と判断しました。この結果、"分離すれども平等"と呼ばれる南部の人種隔離政策が固定化します。

 この判決をくつがえしたのが、黒人と白人を別々の小学校に通わせるのを義務づける州法を違憲とする、1954年の「ブラウン対教育委員会事件」判決です。この判決によって、最高裁は「平等とは何か」を考え直し、60年あまりの間、固定されてきた憲法解釈を変更したのですね。

 最高裁がブラウン事件判決を下した際、ジャクソン最高裁判事の助手として修正14条の制定過程を詳しく調べ、のちにイェール大学ロースクールの教授になったビッケルという人が、自らの経験を踏まえて面白いことを言っています。「憲法を作った人たちは、時代とともに人々の考え方や伝統が変わっていくことを予測して、新しい解釈が可能なように、あえて修正第14条をやや一般的に広く書いておいたのではないか」と。つまり、憲法の中身は、時代とともに育ち変化しうるということでしょう。憲法を解釈するうえでの、一つの考え方ですね。こうした見方については、強い批判もありますけれど。

 このようにアメリカの連邦最高裁は、政治性の強い憲法訴訟を取り上げ、しばしば判断を下しますが、日本の最高裁は政治的な性格の訴訟において憲法判断を避ける傾向がありますね。(後篇につづく)

トランプ、同性婚、「価値観」の有無......阿川尚之氏に聞く米国憲法の歴史と憲法改正(後篇)

agawa_profile.jpg阿川尚之(あがわ・なおゆき)
1951年、東京都生まれ。同志社大学法学部特別客員教授。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学法学部中退、ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィスならびにロースクール卒業。ソニー、米国法律事務所勤務等を経て、慶應義塾大学総合政策学部教授。2002年から2005年まで在米日本国大使館公使。2016年から現職。主な著書に、『アメリカン・ロイヤーの誕生』、『海の友情』、『アメリカが嫌いですか』、『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)、『憲法改正とは何か――アメリカ改憲史から考える


『憲法改正とは何か――アメリカ改憲史から考える』
 阿川尚之
 新潮選書

※当記事は「BLOGOS」からの転載記事です。
blogoslogo200.jpg

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中