アイラブユー、神様──『国境なき医師団』を見に行く(ハイチ編11最終回)
すると、とても真面目な顔になってリシャーは答えた。もともとハイチの大学でジャーナリズムを学び、卒業後に様々なメディアや国際機関に参加したのだという。そうしているうち、インターネットでMSFの公募を知り、二ヶ月連絡を待って面接を受けたのだそうだ。
「満足していますか?」
そう聞くと、リシャーは自分の足元を見た。
「他の組織や企業ならもっと稼ぐでしょう。でもここにはジャーナリストとしての満足感があります。誰よりも早く、困難なところに駆けつけて救援をするのがMSFですから」
そう言ってから、リシャーは俺を見た。
「でも、十年後はどうでしょう。親も子供もいるでしょうから。その時、この仕事での生活を自分が選ぶかどうか」
続けてリシャーはMSFの四駆を指さした。
「セイコー、ああいうランドクルーザーを、日本のジャーナリストは持ってますか?」
問いの意味がわからなかった。
「リッチな人の話じゃありません。ジャーナリストです。私たちの国のジャーナリストではランドクルーザーはとても持てない」
俺は別な理由で沈黙を続けた。ジャーナリストは金のためにやる仕事ではないという世界的常識が、改めて心にしみたからだった。そして途上国でそれを貫くのはとても大変なことだということも。
俺は結局、リシャーの問いに答えることが出来ないまま石段を離れた。
コレラ緊急対策センター
性暴力被害専門クリニックのアンジーたちが滞在する海外宿舎カイフルリに寄って昼食をいただき、少し休んでコレラ緊急対策センターへ足を伸ばした。
黒い鉄扉を開けてもらって中に入ると、すぐに足の裏に殺菌剤をかけてもらった。イギリスから来たプロジェクト・コーディネーターのスチュアート・ガーマンがそこのリーダーで、俺たちを案内してくれた。ひげを生やし、金色の長髪を後ろでくくっている。
行けども行けどもテントだった。まだコレラ発症の時期でないため、どこにも患者はいなかった。おかげでその間に、衛生的な啓蒙活動に力を入れているそうだ。いったんピークになってしまえば一日60人が駆け込むことになるのだとスチュアートは言った。
簡素な階段を上って、壁のない半野外の空間へ移動した。木材とトタンとビニールで出来ているその場所が、コレラ緊急対策センターのリーダーである彼の事務所だった。あまりの質素さに目を丸くすると、スチュアートは両手を広げて周囲を見回し、
「素晴らしいエアコンだよ」
と言った。熱風が吹いていた。
その砂だらけの床の上の事務机で、若きリーダーはたったひとつのノートブックパソコンに向かい、話の途中でも作業を続けた。
ハイチ全土にコレラはひそんでおり、再び大規模感染が起きれば首都ポルトー・プランスにある国の対策センターだけではとても足りなかった。しかし一時は注目の集まったハイチのコレラに対する国際社会からの義援金は明らかに減り、国や他のNGOは活動がしにくくなっているのが現状なのだそうだ。それでも、自国による対応が可能になるよう、MSFは地方行政や現地NGOへの移行を通して、地域分散型の体制作りをしているというのだった。
また、対策センターではコレラのみならず、他の感染症、干ばつによる栄養失調、建築現場などでの事故にも受け入れを広げていると聞いた。それでも雨季でコレラがピークになれば感染を防ぐため、専門的に隔離していくしかなくなるだろう。
「ハイチでは国民の半分が不潔な水を使い、飲んでいる。それがコレラ発症の大きな原因で、これはつまり国全体の問題だよ」
ミッションがわずか一年だというスチュアートには、焦っても焦りきれない根本的な問題だった。
再び、テントのあちこちをさらにくわしく回ることになった。
静かで落ち着いた敷地の一角に、「Morgue(遺体安置所)」と書かれた小さな一室があった。