最新記事

ネット

「ネット言論のダークサイド」を計算機で解析する ── データ分析による報道の技術とその再現性 ──

2016年5月10日(火)22時31分
大野圭一朗


Sparkでの分析

 ガーディアン社はかねてより、こういった比較的大きなデータを分析することによる調査報道をやりたかったらしく、大規模な分散処理ではスタンダードな地位にあるApache Sparkを実際に使うプロジェクトを探していました。今回の解析はテストケースとして丁度良いものだったため、実際に利用しています。

Sparkとは何か?
 Apache Sparkとはオープンソースで開発が続いている「並列分散処理のためのフレームワーク」です。これだけでは一体なんなのか分かりにくいと思いますが、要するに複数の計算機を利用して、巨大なデータを効率よく同時に処理するためのソフトウェアのことです。今日のデータ分析で巨大なデータを扱う時に高性能な計算機が必要な場合、一台の高性能なマシンに大きな投資をして使うことは稀で、基本的には比較的安価な計算機をたくさん集めて処理を分散させて行います。この作業を行う時には、一台の計算機で処理を行う際に比べてはるかに高度な技術が必要になります。この複雑な部分の面倒を見てくれるソフトウェアと考えてもらって概ね問題ないです。

 若干技術寄りの話になりますが、かつてこのソフトウェアを使う時にはScalaという言語でRDDと呼ばれる比較的抽象度の低いデータ構造を使う必要があったのですが、最近ではRとDataFrame(スプレッドシートのシートのような感覚で各種データを扱えるデータ構造)という、データ解析を行う人々には馴染み深い、かなり抽象度の高いものを利用できるようになってきました。現時点でもScalaを使える人がもっともこのソフトウェアを効率よく使いこなすことができますが、そうでない人にも今後は門戸を開いていくという方針のようなので、大規模データ分析の世界ではSparkのさらなる普及が予想されます。

クラウド上での実行
 このSpark、素晴らしいソフトウェアなのですが、実際に複数の計算機を利用して解析したい場合は、そのセットアップにそれなりの時間がかかります。また、Sparkのノード(分散させた作業を実行させる計算機)として使える大量の計算機を自前で用意するのは、(規模にもよりますが)コストも膨大なものになります。こういった時に便利なのがAWSのような商用クラウドサービスです。AWSにはAmazon Elastic MapReduceという、Sparkのようなソフトウェアを実行できるように設定された計算機群(クラスタと呼ばれます)を時間貸ししてくれるサービスがあります。ガーディアン社は今回このサービスを利用し、Sparkを使った解析をEMR上で実行しました。まるでAmazonの回し者のようですが、現実的な問題として、ここまでバラエティに富んだクラウドサービスをワンストップで提供している企業はAmazonをおいて他に無く、それが企業からマスコミ、研究機関まで幅広いユーザーを獲得するのに成功した理由だと思います。

 さて、実際のタスクですが、今回は、AWS上にアップロードされたコメントデータベース、記事データベース、著者のデータに対し、ひたすらクエリを投げて必要な情報を切り出し、どの著者がもっとも多くの誹謗抽象・煽りコメントを受け取っているのかを集計していきました。このような大量のデータに対する比較的単純な作業の繰り返しはSparkの得意とするところで、テストプロジェクトとしては良い選択なのではないかと思います。実際に今回の作業は、パイロットプロジェクトというか、まだ彼らに取っても初の実験だったため、ソースコードにも試行錯誤のなごりが見て取れます。こうして得られた結果は、同じくAWSのS3上に書き出されていきました。この最終的な結果は、スプレッドシートなどで集計・図表化可能な程度の大きさのものだと考えて良さそうです。

 また現在ガーディアン社のデータ解析チームは、将来的にこのような解析がより行いやすくなるようにPrestoと呼ばれるFacebook社を中心に開発されているオープンソース・ソフトウェアを使い、いわゆるデータレイク(これもバズワードに属するものだとは思いますが...)を構築しているようです。ここからも、彼らが自社で蓄積してきたデータに対する計算機による解析を、今後も進めていこうという姿勢が読み取れます。

gardians11.jpg

データの可視化

 これで必要なデータは出揃いました。今回は最終的には新聞記事として使うものですから、このデータを読者が分かりやすい形で提示する必要があります。最近はウェブ版の記事を念頭に作られることも多く、今回の記事も文章に加えて、実際に嫌がらせコメントを多く書き込まれた記者へのインタビュービデオなど、様々なメディアを組み合わせたものとなっています。そして最近の傾向として、こういったデータを見せるときに、ブラウザベースの可視化を用いることが多くなってきました。つまり、最新のウェブ・ブラウザに備わった高度な描画機能を用いて、複雑な図表の作成や、アニメーション、双方向性のある表現などが可能となり、これらを報道の場面で使おうという動きです。

 このトピックに関しては、私も仕事として関わっていますので、何か面白そうな記事に出会ったときに、改めて独立した文章として書いてみたいと思います。少々技術的になりますが、実際の可視化の作業などに興味がある方は、こちらの記事もどうぞ。

gardians12.jpg

 今回の場合、こういった表現を行う場合に使うツールとしてスタンダードなD3.jsを利用し、最終的な集計結果をプロットし、アニメーション表現を使ってスライドのように繋ぐということをしています。比較的控えめな使い方ですが、今回の結果を見せるためには十分だと思います。ぜひ元の記事のプロットをご覧になってみてください。


考察

 今回の解説記事を読んでいて既視感を覚えたのですが、その原因は、要するにこれは学術論文における実験プロトコルの簡易版のようなものだからです。査読付きのジャーナルに掲載されるようなものに比べればはるかに簡易的なもので、これを読んだからといって必ずしも同じ手法で同じ解析ができるわけではありません。しかし、このようなものが調査報道の記事と共に掲載されるようになったのは大きな進歩だと思います。特に計算機を使った解析の場合、その対象が公開データセットの時は、ソースコードと解析に使った環境を公開しておけば、ほぼ同じ解析が技術さえあれば誰でも行えます。事実、先進的な取り組みをしている海外の一部マスコミでは、記事執筆に使ったコードをGitHubにて公開する動きも出てきています。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米バークシャー、24年は3年連続最高益 日本の商社

ワールド

トランプ氏、中国による戦略分野への投資を制限 CF

ワールド

ウクライナ資源譲渡、合意近い 援助分回収する=トラ

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チームが発表【最新研究】
  • 4
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必…
  • 5
    障がいで歩けない子犬が、補助具で「初めて歩く」映…
  • 6
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中