【再録】現代史上、最も名高い2人の新旧米国務長官
国防総省に比べると、国務省やUSAIDは予算の獲得が格段に難しい。目下の厳しい財政状況では、必要な予算を獲得することがとりわけ難しい。それでも、担わなければならない責任があることに変わりはない。
こういうストレスは、戦時にはいつも付いて回るものだ。アメリカの若い兵士たちが身を危険にさらしているとき、文民たちも同様に危険な場に出掛けなければならないケースが増えている。例えばアフガニスタンの農業を支援するとすれば、戦闘が終結してすぐに農業の専門家が現地入りすることになる。
キッシンジャー ベトナム戦争以降の40年間、戦時のアメリカでは、戦争をすべきか否かが国内で議論の対象になるという特殊な状況を経験してきた。いま最も重要なのは、戦争の戦術に関しては意見の相違があってもいいが、戦争の正当性そのものについて意見の対立がないようにすることだ。
その出発点として共有すべき認識がある。それは、戦争を行っている政権は例外なく、その戦争を終わらせたいと考えているのだということだ。
クリントン そのとおり。
キッシンジャー (戦争を戦うことによって)最も大きなリスクを負っているのは、そのときの政権にほかならないのだから。
ベトナム戦争やイラク戦争などの戦時の議論をみると、戦争を終わらせることと軍隊を引き揚げることが同一視されてきた。軍を撤収させることが第1の、もしかすると唯一の出口戦略であるかのように言われてきた。
本来、最良の出口戦略は戦争に勝つこと。あるいは外交で相手を説得すること。あるいは戦いが自然に終息することのはず。それなのに、米軍部隊の撤収を出口戦略と同一視すれば、(なぜ戦争を始めたのかという)政治的な目的をないがしろにする結果を招く。
そうなると、時の政権が戦争終結のために十分な努力を払っていないという中傷を受け、最良の判断とは異なる行動を取らざるを得なくなる。そういう事態に陥ることがしばしばあった。
現在の戦争に関してオバマ政権に対する私の立場は、いま述べたような基本認識に基づいている。もっとも、一つ一つの政策の詳細までに賛成か反対かはまた別の問題だが。
ヒラリーが挙げた第2の点は文民部門に関してだったが、第3の点として私が指摘したいのは、(戦争を終わらせる上で)いずれかの時点で外交上の落としどころを見つけなくてはならないということだ。当事者が受け入れて実行できる合意点を見いだす必要がある。ベトナム戦争後にひどい結果になったのは、私たちが約束した内容を守らなかったからだ。