最新記事

文化

郊外の多文化主義(2)

2015年12月8日(火)15時58分
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)※アステイオン83より転載

 政治哲学領域において多文化主義の論点を極めて手際よく整理した論者としてウィル・キムリッカ(WillKymlicka)を挙げることが出来るが、その著作『多文化時代の市民権』(Multicultural Citizenship, Oxford UP, 1995)では、社会構成的文化を有するマイノリティ集団は、言語権などをはじめとする集合的権利を持つことが正当化される。そこでは、当該集団の集合的権利は、①社会文化的な多数派に対し「対外的な保護(external protection)」として、②当該集団内の成員に対し「対内的な制約(internal restriction)」として働くことが検討に付され、全体としては緩やかにマイノリティ集団の集合的権利を認める方向での議論が行われている。

※「社会構成的文化(societal culture)」とは、その集団を構成する「メンバーに対して、社会・教育・宗教・余暇・経済生活の全てを含む人間活動に渉り、また公私に領域にわたって、有意義な生活様式を供給するような文化」のことを指す。

 しかし、これに対して、たとえばスーザン・M・オーキン(Susan M. Okin)などは、その編著『多文化主義は女性にとって害悪か?』(Is Multiculturalism Bad for Women? Princeton UP, 1999)の中で、マイノリティ集団内で「対内的制約」として働く文化・宗教的実践とジェンダー/セクシュアリティとの間には鋭い緊張関係が存在していることを指摘している。もっとも典型的かつ激しい批判の対象とされるのは、「女性器切除=FGM(Female Genital Mutilation)」の問題である。FGMとは、赤道付近のアフリカ諸国を中心に行われている女性器の一部を切除する成人儀礼であるが、女性蔑視的な目的の下、不衛生な環境で惨むごたらしく行われる点で、そのような習慣を持ち込む移民に対しても厳しい批判が浴びせられている。

 オランダでは、かつてこのFGMに関し、被施術者女性が不衛生な環境で女性器を切除され感染症などに罹患するのは人道的に看過しがたいので、せめて清潔な近代的医療設備の下で施術すべきではないかというレポートが所轄官庁から提起されたが、これに対しては、いくらオランダが寛容をモットーとしているからといって、そのような根本的に邪悪で野蛮な実践に加担することは、寛容の限界を超えているという激しい反対が起きたことさえある。

※上記のオランダにおけるFGMの事例に関しては、Obiorat, Amede L.(1997)Bridges and barricades: Rethinking polemics and intransigence in the campaign against female, Case Western Reserve Law Review, Vol. 47 Issue 2.を参照。

「リベラルな寛容の限界」という問題系は、強度の同化政策を採るフランスにおいて最も典型的に見出すことができる。フランスの公立学校(公的空間)でヴェールの着用が問題となるのは、《共和国》を支える「ライシテ(laïcité)」によるものであるが、これは「世俗性」や「非宗教性」とでも訳されるべきものであり、革命期にその淵源を有する強固な政教分離の原理なのである。

 以下の歴史的経緯については、谷川稔の名著『十字架と三色旗』(山川出版、1997年)に直接あたられることをお薦めしたいが、そもそも、革命期以降のフランスには、共和国派とカトリック教会との激烈な抗争の歴史が存在しており、それは国家の世俗性(ライシテ)をめぐる闘争だったのである。ジャコバン派の衣鉢を継ぐ共和国派に対する教会の敵意は長らく持続し、20世紀に入ってからも、それぞれの側で100万人規模に達するデモを伴う運動が引き起こされている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ECB追加利下げ、ハードル非常に高い=シュナーベル

ビジネス

英BP、第2四半期は原油安の影響受ける見込み 上流

ビジネス

アングル:変わる消費、百貨店が適応模索 インバウン

ビジネス

世界株式指標、来年半ばまでに約5%上昇へ=シティグ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 3
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 6
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 7
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    トランプはプーチンを見限った?――ウクライナに一転パ…
  • 10
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中