最新記事

文化

郊外の多文化主義(2)

「同胞」とは誰か

2015年12月8日(火)15時58分
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)※アステイオン83より転載

多文化主義の難しさ 同性愛者であることを公言し、近代的価値観を認めるがゆえに反イスラムを訴えたオランダの政治家ピム・フォルタインの主張には、重大な問題提起が含まれていた(2002年5月、選挙直前に暗殺されたフォルタインを追悼するキャンドル) REUTERS


論壇誌「アステイオン」(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス)83号は、「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」特集。同特集から、法哲学を専門とする首都大学東京准教授、谷口功一氏による論文「郊外の多文化主義」を4回に分けて転載する。(※転載にあたり、表記を一部変更しています)

※第1回:郊外の多文化主義(1) はこちら

多文化主義の根源的問題性

 以下では既に検討に付した英独仏に加え、今ひとつの事例として、オランダのケースを取り上げる形で多文化主義そのものが孕む根源的な問題性についての検討を付しておくことにしたい。以下のオランダに関する記述については、もっぱら水島治郎の『反転する福祉国家 オランダモデルの光と影』(岩波書店、2012年)を参照したが、この本は非常に興味深いものなので、この際、是非お薦めしておきたい。

 さて、水島によるなら、「オランダは、相対的に緩やかな移民・難民政策の結果、......外国系市民の割合は二一世紀初頭には約18%に達し、大都市を中心にその比率は増加の一途を辿って」いる。従来、徹底した多文化主義政策を推進して来たオランダだったが、2002年以降、それまでタブーとされていた多文化主義を批判する形で移民問題を正面から取り上げる政治勢力が登場することとなった。コラムニストのピム・フォルタインが立ち上げたフォルタイン新党である。

 フォルタインは、イスラムを「時代遅れの(achterlijk)」宗教と呼んで憚らず、「イスラムは西欧社会とは共存不可能な宗教」であるという認識を示したが、人種差別・民族差別的な主張にもとづいてイスラムを排撃したのではなかった。彼は、あくまでヨーロッパ的な啓蒙主義の伝統に由来する「普遍的な価値」を援用して「遅れた」イスラムを批判するのである。これは隣国フランスの国民戦線などがファシズムや暴力的右翼運動に由来し、民族的・国家的価値を重視して排外的主張を行うのとは、一線を画している。しかし、選挙直前の2002年5月、フォルタインは暗殺された(ムスリムの犯行ではなく動機は不明)。オランダでは、この他にも、イスラムを冒瀆したとされる映画『サブミッション』をめぐり、その監督であるテオ・ファン・ゴッホが2004年11月に暗殺される事件なども起きている。

 フォルタインの主張は、多文化主義を考える上で重大かつ深刻な示唆を有している。すなわち、彼は「自らが同性愛者であることを公言し、女性解放や同性愛者への差別撤廃を成し遂げた60年代以降の社会運動を高く評価する」が、その上で、「女性や同性愛者に対して差別的なイスラムを厳しく批判する」のである。彼は「男女平等や人権・自由といった近代的価値を積極的に認め、議会制デモクラシーの存在なども自明視した」上で、その「普遍的な価値」に立脚するがゆえにイスラムを批判するという手法を採る。彼のこのような主張は、単なる極右排外主義的主張とは明らかに一線を画しており、その主張内容には重大な問題系が内包されていることが指摘される。

 このオランダと同様に、リベラル・デモクラシーを所与のものとする側の「普遍的価値」とマイノリティ集団の文化的・宗教的実践との間での対立は、しばしばジェンダー/セクシュアリティ領域において先鋭化するが、フォルタインの事例においては、それが激烈な形で示されている。実のところ、フランスをはじめとする欧州でのイスラム・ヴェールをめぐる対応・事件でも問題の構造は同根であり、そこで問題にされているのはヴェールを着用した女性自身ではなく、女性にそのような宗教実践を強制するムスリム男性側の男性中心主義的な文化構造なのである。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権

ワールド

米空港で最大20%減便も、続く政府閉鎖に運輸長官が

ワールド

アングル:マムダニ氏、ニューヨーク市民の心をつかん

ワールド

北朝鮮が「さらなる攻撃的行動」警告、米韓安保協議受
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中