郊外の多文化主義(1)
積極的に「多文化主義」を推奨してきた英独と当初から「同化主義」を前面に押し出してきたフランスであるが、英独仏3カ国の辿り着いた先は、皮肉なことに同じだった。つまり、断片化された社会、疎外されたマイノリティ、怒れる市民たちである。
マリクによるなら、そこには「多文化主義のパラドックス」が存在する。彼自身の言葉を借りるなら「政治的道具としての多文化主義は、多様性を前提とするが、そのような多様性はマイノリティのコミュニティの縁で止まることを暗黙裏に想定している。そこでは多様性を制度化(institutionalize)することで、人々をエスニックや文化の箱(box)の中に押し込める」のである。ここで言うところの「箱」については、「単一で同質的なムスリム・コミュニティ」などといった一枚岩的(monolithic)なイメージを想起すれば良いだろう。
このような問題状況に対してマリクは、多文化主義も同化主義も、社会の断片化という同一の問題に対処するための異なった政策的対応だったのだが、結局のところ、いずれも事態を悪化させたに過ぎないと断じ、かかる「失敗」を乗り越えるためには、欧州は、以下のような三つの区別を判然と行うことが必須だと論じている。
第一に、「生きられた経験としての多様性」と「政治的プロセスとしての多文化主義」を区別しなければならない。移民の流入によって社会生活における経験が多様化されることは歓迎されるべきだが、文化的差異の公的な承認を通じた「多様性の制度化」には反対しなければならない。
第二に、「カラー・ブラインドネス」と「レイシズムへのブラインドネス」を区別しなければならない。特定の民族的・文化的歴史の担い手としてではなく、すべての人を市民として扱うというフランス流の同化主義の処方には、それ自体としての価値がある。しかし、これは国家が特定のグループへの差別(レイシズム)を放置することを意味しない。
第三に、「人びと(peoples)」と「価値(value)」を区別しなければならない。多文化主義も同化主義も、マイノリティのコミュニティ内部での同質性を前提としているが、人びとの生活の実相にわたる現実は多様なのである。
結論としてマリクは、欧州は、進歩的な意味での「普遍的価値」を再発見しなければならないと言う。次節では、この「普遍的価値」と多文化主義をめぐる根源的な問題系に踏み入ってゆくことにしたい。
※第2回:郊外の多文化主義(2) はこちら
[執筆者]
谷口功一(首都大学東京法学系准教授)
1973年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)など。
ブログより:移民/難民について考えるための読書案内――「郊外の多文化主義」補遺
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