独立に沸くスーダン南部を待つ艱難辛苦
長年の迫害から自由になる日を目前に、帰還民の受け入れや石油資源をめぐる対立といった難問が忘れられている
意思表示 イスラム系が支配する北部からの独立は南部住民の悲願(1月10日) Benedicte Desrus-Reuters
三日月が浮かぶ夜空の下、ジェームズ・アマンの息子や娘、甥や姪たちは牛笛の演奏に合わせて歌い、踊っていた。スーダン南部の分離・独立を問う住民投票が始まった1月9日のことだ。「自分たちの国が持てることが嬉しい」と、アマンは飛び跳ねる子供たちを見ながら言う。「北部の重圧が消えることを祝って、子供たちも踊っている」
スーダンでは北部のアラブ系政府(主にイスラム教)と南部の非アラブ系勢力(キリスト教と伝統宗教)の対立で20年以上も続いていた内戦が、05年の和平合意により終結。以来、スーダン南部の指導者たちはほぼすべての点において、北部の指導者たちに出し抜かれてきた。和平後に約束されていた重要省庁のポストや主要州の知事職を与えられず、石油の利益分配も数億ドル規模でごまかされた。
オマール・アル・バシル大統領率いるアラブ系政権も関与する民族対立により昨年、南部では1000人近くが殺害され、20万人以上が住みかを追われた。汚職が蔓延し、深刻な貧困に苦しむ南部では、公共医療をはじめとする基本的な住民サービスが不足している。しかし住民投票を喜ぶ人々は、こうした問題をすっかり忘れているようだ。
南部の住民約400万人が参加する投票は、予想通りの結果になるはずだ。投票が終了する1月15日には、南部は正式な独立準備に入るだろう。そして7月9日には新国家として国際社会から認められる。アラブ連盟でさえ、新国家をメンバーとして加盟させることを検討している。
兵士の脅迫で南部を追われるイスラム系住民
65年間にわたり北部から抑圧を受けてきた南部の人々は、住民投票の実施に必死で取り組んできた。憲法裁判所で住民投票の差し止めが審議された時は、南部スーダン政府のサルバ・キール・マヤルディ大統領が南部出身の裁判官2人を首都ハルツームから呼び戻して、判決を妨害したほどだ。
一方で、住民投票に向けた動きは南部のアラブ系住民に逆境をもたらした。南部と北部の境界線に位置する上ナイル州フォハールでは、1000人以上のアラブ人が南部兵士の脅迫を受けて、家や土地を捨てて北部ヘ逃げた。
フォハールのアラブ人は南部最大のディンカ族と良好な関係を保っており、婚姻関係を結ぶケースもある。しかしスーダン人民解放軍(SPLA)の地元指揮官はアラブ人を敵視している。
SPLAはアラブ人の逮捕や尋問、兵士による夜間訪問などを行い、1人が射殺される事件も起きた。昨年11月、アラブ人が投票登録を開始すると脅迫行為はさらに激化。アラブ系住民の約1割が、土地や家畜を捨てて北部に逃亡した。「彼らは南北統一に投票しないよう、われわれを脅迫した」と、投票登録後に北部へ逃げたアダム・イスマイルは言う。
イスマイルの家族は、他の250近い家族と共に北部の難民キャンプで2カ月近く暮らしている。一時しのぎだったはずの難民キャンプは、徐々に定住キャンプへと変わりつつある。