欧州に戻ってきたフーリガンの悪夢
犯罪組織とのつながりも
アメリカ人ジャーナリスト、ビル・ビュフォードの『フーリガン戦記』には、80年代のイギリスで白人至上主義の国民戦線がフーリガンに接近する様子が描かれている。70年代のイタリアでも、ネオ・ファシスト政党のイタリア社会運動が過激なサポーター集団「ウルトラ」を対象に「新兵」のスカウト活動を行っていた。
旧西ドイツでは長年、ネオナチ・グループがフーリガンを引き付けていた。時代や状況はさまざまだが、同様の例はオランダやスペイン、フランス、ルーマニアなどにもある。
両者が手を組むことで、極右組織は警察に投石する「兵士」を手に入れ、フーリガンは自分たちの行動欲求を正当化してくれる「大義」を手に入れる。ただし、この関係はたいてい浅く、一時的なものだ。
ビュフォードが指摘しているように、フーリガンが極右の勧誘ビラより暴れること自体に興味がある場合、「兵士」としてはあまり役に立たない。彼らは快楽主義者のニヒリストで、極右思想を本気で信じているわけではないからだ。
その点、セルビアを含む旧ユーゴスラビアの政治がかったフーリガンは恐るべき例外と言えるかもしれない。セルビアの名門クラブ、レッドスター・ベオグラードとクロアチアのディナモ・ザグレブのウルトラ同士の抗争は、90年代初めのユーゴ分裂を早めたという見方もある。
ユーゴ内戦初期、セルビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領(当時)はレッドスターのウルトラを扇動して民兵組織に入隊させた。彼らは元銀行強盗で脱獄囚のアルカンという男に率いられ、ボスニアなどで残忍な「民族浄化」を繰り広げた。
その後、ミロシェビッチの人気が急落すると、今度は同じベオグラードのライバルクラブ、パルチザンのウルトラがスタジアムの反対側にあるレッドスターのサポーター席にロケット砲を撃ち込んだ。ミロシェビッチの失脚につながった00年のデモの際には、レッドスターのウルトラがセルビア議会に乱入した。
今回、ジェノバで暴れたフーリガンも、この系譜の延長線上にいる。それでもこの暴動は、スポーツに政治が絡んだ暴力事件は何かの拍子に偶然発生すると示しているにすぎない。
セルビア人のフーリガンが、犯罪組織とつながりのあるベオグラードの極右団体幹部から指令を受けていたことは間違いない。しかし彼らが全員共通の目的を持っていたのか、そもそも何が目的なのかを知っていたのかどうかはよく分からない。