英語しゃべれる人材育成も費用対効果
企業が従業員に高い英語力を求めるのは、社員のグローバル化が進まない場合の「言語コスト」があまりに大きいからだ。
通訳・翻訳費用のような直接的なコストだけではない。英語力不足のせいで商談が頓挫したり、新興市場への進出が失敗すれば損失は計り知れない。さらに、グローバルビジネスに最適な人材を国籍に関係なく登用することができないハンディは企業の競争力を大きく損なうと、京都産業大学の岡部曜子教授(国際経営論)は言う。
社員のやる気を刺激せよ
もっとも岡部に言わせれば、日本企業の対応は「信じられないほど後手に回っている」。外国人取締役のいる企業が増えつつあるとはいえ、その数は上場企業の3・5%。日本の「グローバル企業」の大半は今も重要な情報を日本語で本社に集約しており、優秀な人材に敬遠される一因となっている。「世界は英語での経営を視野に入れる勢いなのに、大半の日本企業は今も基礎的な英語力の育成に手間取っている」と、岡部は言う。
TOEICのSWテストの採用企業が約30社にとどまるのも、「まずは基礎からじっくり」という社員への配慮かもしれない。「何年もかけて全社的にTOEICを受験する体制を整えた。(SWテストは)難し過ぎて社員の負担が大きい」と、ある大手電機メーカー子会社の人事担当者は語る。
だが近い将来、SWテストで問われるような「難しい」業務を避けて通れなくなる可能性は高い。少子高齢化で国内市場が頭打ちになれば、内需企業も本気で国外に活路を見いださなければならない。
個人のキャリアという意味でも、英語力不足の代償は大きい。人件費の安い国にアウトソースされる仕事が増えれば、高賃金の日本人への要求は一段と厳しくなり、国内向けの仕事しかできない人材は淘汰されかねない(既にアジアでも中南米でも現地スタッフの「ハイスペック化」が進んでおり、英語力でも経営の知識でも太刀打ちできない日本人駐在員が鬱を患うケースが増えているという)。
グローバルビジネスに必要な語学力と現状の果てしないギャップを早急に埋める方法はあるのか。意外なことに、「英語を教えない」研修が起爆剤になるかもしれない。
グローバル人材の育成を支援するグローバル・エデュケーション アンド トレーニング・コンサルタンツ(東京)では、社員の意識改革に特化したセミナーが企業の人事担当者の関心を集めている。
英語力不足によるキャリアの危機を実感させたり、「なりたい自分」像をイメージするプロセスを通じて受講者のモチベーションを刺激し、学習法を指南する。実際の学習は受講者に任されるが、通常の英語研修より長期間、学習を継続できる人が多いという。
「今後数十年間、英語力なしで本当に生き残れるのかと不安に思っている人は多い。社員が真剣になる『仕掛け』を用意すれば、後は自動的に走りだす」と、布留川勝代表取締役は言う。
冒頭のいすゞ自動車の吉岡も08年に、このセッションを含む11カ月のグローバル人材育成コース(交渉術や経営学を主に英語で学ぶ)を受講。「英語力を磨き、自分をグローバル化しなければまずいという危機感」に駆られて、独学で学習を始めた。555点だったTOEICは1年後には815点に。「三日坊主だった以前の自分とは意識が違う」と言う。
ひとたびやる気に火が付けば、多忙なビジネスパーソンを支援する学習ツールはたくさんある。なかでも、好きな時間に学べるeラーニングの普及ぶりは目覚ましい。
論理的なメールを書く添削指導から異文化への適応訓練まで幅広いメニューがある上に、コスト削減効果も大きい。動画付き携帯電話で顔を見ながら会話の練習ができるなど、最新技術を駆使したサービスも続々と生まれている。
英語格差で二極化が進む
ただし、最新技術を用いた学習手段が最も効果的とは限らない。「対面のコミュニケーションに代わる教材はない。特に仕事で一日中パソコンを使う人は注意が必要だ」と、前出のピンカートは言う。
それ以上に忘れてはならないのは、英語力はグローバルなビジネス環境で必要な数ある条件の1つにすぎないということ。グローバル・エデュケーションの布留川によれば、熱いビジョンとそれを具現化する論理的思考、ぶれない決断力などグローバル人材の「OS(基本ソフト)」ともいうべき基本条件を備えることが大前提だ。「語学力はアプリケーションの1つでしかない」
もっとも英語力の底上げに資金を取られ、他のスキルの養成に手が回らない企業も少なくない。
その点、スウェーデンの通信機器大手エリクソンは、英語を公用語とすることで研修費の効果的な配分を実現している。ホワイトカラーは採用時点で高度な英語力が必須。おかげで、純粋な語学研修費は人材育成費のわずか3%だ。
韓国の現代カードでも、新入社員のTOEICの平均スコアは910。社員を世界各地にバックパック旅行に送り出してエッセーを書かせるといった変わり種の研修にも力を入れる余裕がある。
英語学習のコストを大幅に抑えることで、より包括的なグローバル人材育成に資源を集中させる会社と、基礎的な英語力の育成に予算を大幅に取られる会社──。世界経済が最悪の時期を脱し、企業の教育投資が再び活発になれば、両者の投資リターンの差は限りなく広がっていく。
[2010年3月31日号掲載]