無限の闇にロマンを求めて
21世紀の「大きな飛翔」には科学・文化の融合と冒険への憧憬が欠かせない
バラク・オバマ大統領が、アメリカの宇宙計画の未来について提言をまとめるよう有識者に求めたのは約半年前のこと。それを受けて10月下旬に米有人宇宙飛行計画審査委員会が発表した最終報告書に、『スター・トレック』ファンのオバマは胸を躍らせたことだろう。月に基地を建設し、火星の衛星を目指すというのだから。
ところが落とし穴が1つある。NASA(米航空宇宙局)には計画を進めるだけの財源がないのだ。刺激的な提言はさておき、予算面に配慮したことで報告書はかなり興ざめなものになってしまった。
アメリカの宇宙探索の将来は、逼迫する国庫から今後も資金を捻出できるかどうかに懸かっているようだ。同じ問題に直面したジョン・F・ケネディ大統領は冷戦の恐怖と国の威信、そしてニューフロンティア政策の精神をうまく織り交ぜてアメリカ人を月へ送り込もうとした。
しかし、オバマがケネディの主張を蒸し返すわけにはいかないし、NASAが再び連邦予算の5%近くを獲得することも期待できない。当時のソ連の脅威に代わるものもなければ、ケネディ暗殺のような発奮材料もないのが現状だ。
「月に行くのは1つの国家だ」
オバマに必要なのはアメリカ人の想像力をかき立て、宇宙での発見をめぐる新鮮なビジョンを打ち出して世間を魅了すること。孤軍奮闘する必要はない。ケネディは月への有人飛行に向けたアポロ計画を提唱し、こう語った。「究極的に、月へ行くのは1人の人間ではない......1つの国家だ。われわれ全員が努力する必要がある」
ここで大事な役割を担うのが、想像力を駆使するビジネスに携わる人たち。つまり作家や映画製作者などのアーティストだ。予算拡大のためのプロパガンダという意味ではない。宇宙をテーマにした傑作を生み出せば、世間の目はおのずと再び天を仰ぐ。
宇宙飛行士アラン・シェパードがアメリカ初の有人宇宙飛行に成功した1961年よりずっと前から、この国の宇宙開発は芸術文化に育まれてきた。アポロ計画の歴史を振り返る著書『ロケット・メン(Rocket Men)』でクレイグ・ネルソンが指摘するように、フィクションは20世紀の科学者のイマジネーションを刺激してきた。
「科学技術を切り開く原動力として小説家の功績が認められることはめったにないが」と、ネルソンは現代SFの開祖と呼ばれるフランス人作家ジュール・ベルヌの作品について書いている。「ロケット開発の先駆者3人は全員、『月世界旅行』を読み、それによって人生の航路を変えられた」
求む、SF作品の傑作!
芸術や文化の担い手は、想像を超えたはるかかなたの宇宙を身近で分かりやすいものにする。占星術をもたらした古代の神話作者や「きらきら星」を子守歌にする現代の子供たち──文化は宇宙の闇にそれぞれの時代を投影してきた。
アポロ計画の試験飛行が佳境を迎えた66〜69年に『スター・トレック』の最初のシリーズが放映され、NASAと互いに開拓者精神を刺激し合うことになったのは偶然ではない。この記事を書いている私も、読んでいるあなたも、多感な時期に数え切れないほど何度も『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』を見て決定的な影響を受けたはずだ。
だが、最近はどうだろう。21世紀に入ってからはお粗末そのものだ。2008年制作のテレビドラマ『ムーン・パニック』は下手な演技とありきたりなプロットを、月を真っ二つに割るという無意味な暴力で締めくくった。J・J・エイブラムズ監督の映画版『スター・トレック』は娯楽大作としてはまずますだったが、オリジナル版にあった驚異の念や同志の絆といった独特のオーラが派手な戦闘シーンに埋もれてしまった。