訴訟リスクを恐れて、母体を犠牲にしてでも処置に二の足を踏むアメリカ
‘CHILLING EFFECT’ OF ABORTION LAWS
冒頭のシーンに戻ろう。州法の網をかいくぐって患者の命を救う方法はないものか。思案するオグバーン医師らの脳裏には、アイルランドでのある事例が浮かんでいた。
2012年の10月のこと。インド人歯科医のサビタ・ハラッパナバール(当時31)は背中の痛みを訴えてアイルランド西部の大学病院を訪れた。当時、妊娠17週だった。
彼女はいったん帰宅したが、痛みが「耐え難く」なって再び来院。検査してみると、胎児を保護する膜が断裂していた。もはや胎児の命を救う方法はなく、彼女は中絶を望んだ。しかし胎児にはまだ心拍があった。
カトリック国のアイルランドでも「母親の命に対する重大な脅威」がある場合の中絶手術は認められている。ただし脅威の程度の判定は医師の裁量に委ねられる。ハラッパナバールの担当医は中絶手術を拒んだ。同月28日、彼女は敗血症によるショックで死亡した。
彼女の死は大きく報じられ、アイルランドでも女性の中絶権を求める声が高まった。そして2018年には国民投票が実施され、圧倒的多数で中絶合法化が決まった。
オグバーン医師らも覚悟を決めた。母体への脅威は明らかで、たとえ訴えられたとしても法廷で十分に争えると判断し、直ちに手術の準備を始めた──が、その間に患者は自力で胎児を産み落としていた。もちろん死産だが、母親の命は救われた。
偶然であり、幸運だった。
しかしアメリカの半分近い州で、産婦人科の医師が裁判を恐れて処置を遅らせる事態が日常化すれば、どうなるか。幸運を祈るだけでは、患者の命は救えない。