スターダムを駆け上ったビリー・アイリッシュは......これからもきっと大丈夫!
This Teen Star Should Be OK
ジュディ・ガーランド、マイケル・ジャクソン、リバー・フェニックスに、かつてアイリッシュが憧れたジャスティン・ビーバー。幼少期から公衆の視線にさらされ芸能の世界で成長すれば、人となりにゆがみが生じても不思議はない。結果、依存症など問題行動の悪循環に陥り、最悪の場合は命を落とす。
折しも2月初めに、米Huluでドキュメンタリー『フレーミング・ブリトニー・スピアーズ』が配信された。スピアーズは10代でデビューし、21世紀の幕開けには最も勢いのある歌手の1人だった。同作は彼女を性の対象として搾取し、父親を後見人として彼女の自由を奪い、精神的に追い詰めたマスコミ、音楽業界、家族と大衆を糾弾した。これが反響を呼び、反省の声が多く上がった。俳優で作家のマーラ・ウィルソン(『ミセス・ダウト』)は、子役時代の苦い体験をニューヨーク・タイムズ紙につづった。
ジュディ・ガーランドのいない『オズの魔法使』は想像できない。だが搾取の歴史と後遺症の深刻さを思うにつけ、幼くしてスターになる価値などあるのかと疑問が生じる。
そんななかでビリー・アイリッシュは、自滅せずに生き延びるのではないかと期待させるまれなケースだ。
『フレーミング』評でウィラ・パスキンが指摘したように(本誌3月9日号掲載)、アメリカ文化を語る際に見落としがちな要素に「階級」がある。スピアーズは南部ルイジアナ州の片田舎で育ち、両親には財力も音楽業界の権力構造に関する知識もなかった。
一方、アイリッシュと兄フィニアスはロサンゼルスで育った。父も母も俳優という芸能一家に生まれ、学校には行かず自宅で教育を受けた。両親は裕福ではないものの、業界に詳しい分、わが子を守るすべを知っている。
10代のありのままの姿
スピアーズのドキュメンタリー公開と時期が重ならなければ、『世界は少しぼやけている』は、昨年1月にネットフリックスが配信開始した『ミス・アメリカーナ』とより多く比較されたはずだ。
歌手テイラー・スウィフトの過去数年を追った同作は、恵まれた家庭の出身であれば、ほかの若手スターよりもはるかに多くの自己決定権を手にできる現実を示す。名声に伴う心理的影響(ゆがんだ体形イメージや激しい反感、プライバシーの喪失)も明かされるが、スウィフトは常に守られ、甘やかされているようだ。
スウィフトと比べると、アイリッシュがスターになる道のりは単純ではなく、両親はおそらくもっとエキセントリックで、明らかにそれほど裕福ではない。それでも、サポート体制はほぼ鉄壁に見える。
アイリッシュが前世代の少女スターより幅広い感情にアクセスできるのは、こうした生育環境の結果の1つと思える。ある場面で、彼女は歌詞の断片やホラー漫画、下ネタ的な落書きで埋まったノートを見せる。通常の学校教育と距離を置くことによって、両親が見事に育んだ自主的な創造性の実例だ。
ホラー的イメージや自殺願望に満ちたアイリッシュの歌詞は、口やかましい親なら警戒するかもしれない。だが実は、これはより健全ではないか。そこにあるのは、無垢を装った性的じらしや押し付けのロールモデル発言ではなく、普通のティーンエージャーのありのままの考えだ。