誰が「黄金の州」を殺した
早くも70年代後半には、このナルシシズムが減税運動という形で表面化した。当時のカリフォルニアでは、州政府の歳出拡大に対応するために中流層の住宅所有者にきわめて重い税負担が課されていたが、州議会は税制の変更を拒否し続けた。だが減税運動の結果ついに、固定資産税と所得税の上限を新たに設定することに。これにより、州財政の健全化がいっそうむずかしくなった。
最近、ナルシシズムの政治が目に余るのは富裕層だ。この勢力は政治の場で、自分たちのことしか考えていない。リベラル派富裕層の政治的テーマといえば、以前は同性愛者の権利(これ自体は崇高な主張だ。それを否定するつもりはない)や芸術振興などが定番だったが、いま最大の関心事は環境保護だ。
20世紀初頭に大統領を務めたセオドア・ルーズベルトのように、自然保護を主張する一方で、経済の生産性を高め、労働者階級の生活水準を向上させようと努めるのであれば問題はない。しかし最近の環境保護運動は人間を「悪性腫瘍」のように毛嫌いし、経済成長を100%邪悪なものと決めつける傾向が強い。
サンノゼに近い農業地帯サリナスバレーに足を運べば、リベラル派富裕層のナルシシズムの政治の影響がはっきり見て取れる。この地区の指導者たちは、より賃金の高い雇用を創出するための政策を打ち出そうとしたが(私もコンサルタントとして協力した)、金持ちのリベラル派が反対した。
たとえば失業率が慢性的に2けた台の中南米系住民中心の地区で、ワイン農場を拡張して雇用をつくり出す計画などだ。「(富裕層は)自宅の景観を邪魔する施設を造ってほしくないんだ」と、あるワイン農家は私に言った。
こういう人たちにとって地球温暖化との戦いは、工業施設などの建設に反対する絶好の口実になっている。しかもその結果、低所得層を中流層に押し上げる道が閉ざされてしまう。富裕層が「社会をよくする」ために行動し自己満足に浸る代償を払わされるのは、えてして富裕層以外の人たちだ。
移民に託す未来への希望
カリフォルニア州の未来を担う最大の希望は、左右両派のナルシシストではなく(主に国外から)新たに移り住んでくる人たちだ。新しい住民たちは、アメリカがチャンスを与えてくれる国だと今も信じ、アメリカンドリームを実現しようと意欲に燃えている。
シリコンバレーのハイテク産業とハリウッドのエンターテインメント産業が経済の重要な存在であり続けることは確かだが、この二つの産業はエリート富裕層が支配する成熟産業になりつつある。低・中所得層に大量の新規雇用を生み出すとは考えにくい。
一方、新しい住民はたいていカネと教育がなく、既存のヒエラルキーを打ち壊そうとするだろう。カリフォルニアの発展を支えてきたのは、そういうエネルギーだった。事実、サンフランシスコやロサンゼルス西部でなく、サンガブリエルバレーやリバーサイド、キュパティーノといった地域で、新しい移民たちがすでに新たなビジネスを築きはじめている。
カリフォルニアが90年代初めの不景気を抜け出す牽引役になったのも移民だった。90年代を通して、中南米系住民の所有する企業の増加ペースは非中南米系白人の4倍に達した。これとほぼ同じ現象がいま起きている。今回の主役は、中東、旧ソ連圏、メキシコ、韓国などからの移民だ。
カリフォルニアの政界にも明るい兆しはある。2010年のカリフォルニア州知事選に、eベイのメグ・ホイットマン前CEO(最高経営責任者)や元eベイ幹部のスティーブ・ウェストリー前州監査官が出馬すれば、茶番続きの州政治にある程度の実務能力と常識を取り戻せるかもしれない。
しかしカリフォルニアとアメリカの未来への希望の芽が最も見つかるのは、州都サクラメント以外の場所だろう。カリフォルニアの希望は、教育も資産もない人々に雇用をつくり出す新移民のような人たちが担っている。
国や地域が繁栄し続けるために不可欠なのは、リスクを恐れず、自信をもって行動し、基本的には利己主義に走らない人間だ。それは未来を見つめる人間であって、鏡の中の自分の姿だけを見ている人間では決してない。
[2009年3月 4日号掲載]