「組み立て15分、コストはたった1万円」 能登半島地震で大活躍する災害対応の即席住宅開発への軌跡
子どもたちと建てたインスタントハウス
いくつかの避難所を巡ったなかで、最も過酷な環境だったのが輪島中学校だった。
特にアリーナは2階のガラスが割れ、凍えるような冷たい風がアリーナのなかに吹き込み、冷蔵庫のようだった。
避難所の職員にインスタントハウスの話をすると、「ありがたい」ということだったので、着替えやオムツ交換、授乳スペースとして屋内用インスタントハウスを建てることにした。
1月4日、ダンボールをアリーナに運び入れて作業を始めると、物珍しそうに被災者が近寄ってきた。
最初の1棟に屋根を上げた瞬間、アリーナ全体から少しずつ拍手が起きた。「これなに?」と聞く子どもたちに、「みんなのお家だよ」と答える。
「一緒に作っていい?」
「いいよ」
その場にいた数人の子どもたちが、手伝ってくれた。2棟目が完成した瞬間、3歳の女の子が大きな声で「お家ができた!」と叫んだ。
隣りにいた母親から、今回の地震で自宅が全壊してしまったと話を聞いた北川さんは、アリーナの外に出た。そこで堪えきれず、涙を流した。
その後、子どもたちは屋内用インスタントハウスに絵を描いて遊ぶようになった。
そこには、「ちょっとせまいけど いえかんせえ」と書かれていた。
この絵と文字は、3歳の女の子と小学校1年生のお兄ちゃんが描いたものだ。取材の日、その子たちのお母さんに話を聞いた。
「初めて見るデザインで最初はなんなのかなと思ったのですけど、メルヘンチックな感じですごくいいと思います。子どもたちも一緒に作ったりして、楽しそうでした。かわいい家が完成した後も出たり入ったりして遊んでいましたよ」
その後、校舎の1階と2階、屋内型広場などに計10棟を建てた北川さんは、翌日、名古屋に戻った。
その際、ダンボール業者やテント屋、断熱材メーカー、運送会社と協議し、屋内用インスタントハウス110棟分の資材を調達。屋外用インスタントハウス3棟の資材と合わせて、再び輪島中学校に向かった――。
「家に困っている人を助けたい」と走り続けてきた
この記事を書いている1月22日時点で、北川さんが拠点をおく輪島中学校ではアリーナに屋内用インスタントハウス250棟を建てる準備が進められており、2棟の人道支援用は、被災直後から狭い職員室での雑魚寝を強いられていた教員が寝泊まりするようになった。
今現在も支援の輪は広がっており、インスタントハウスの実費調達のために開かれた名古屋工業大学基金に寄せられた寄付は1650万円。屋内用インスタントハウス440棟分と人道支援用インスタントハウス13棟分が、主に輪島市各町の避難所に届けられる準備が整った(1月22日時点)。
冒頭に記したように、すでに被災地全域から屋内用インスタントハウス2000棟、屋外用インスタントハウス100棟の要望が届いており、これから能登半島にたくさんのインスタントハウスが建てられる。
それはまさに、東日本大震災以来、「家に困っている人を助けたい」と走り続けてきた男が思い描いてきた光景だ。
しかし、まだ足を止めるつもりはない。北川さんの頭のなかには、さらに進化した人道支援用インスタントハウスの構想がある。世の中には、廃棄される農作物も多い。それらを使って、100%生分解性の断熱材とテントシートを作ろうとしているのだ。