「組み立て15分、コストはたった1万円」 能登半島地震で大活躍する災害対応の即席住宅開発への軌跡
暗中模索の教員生活
そのたびに、「なるほど、確かにそうかもしれない」と感じて大学院の修士課程、博士課程と進んだ。
博士号を取得して「これでようやく......」と思っていたところ、親身に指導してくれた名古屋工業大名誉教授、若山滋氏に声をかけられて、2001年、助手として名工大で働き始める。
ここで自分でも意外に感じるほど学生に教えることにやりがいを感じるようになり、2007年には准教授に。傍から見れば順調すぎる教員生活ながら、「ずっと暗中模索でした」と語る。
「若山先生は、とても高尚に背筋が伸びるようなハイカルチャーのことを語られるんですよ。狂言の話をしたり、源氏物語や徒然草から引用したり。僕は29歳の時(2003年)から自分の研究室を持たせてもらったけど、若山先生のようにはなれないし、どうしようかなと悩んでいました」
「サブカルに詳しい建築の人」を揺さぶった言葉
霧のなかを抜け出すきっかけをくれたのは、元AKB48の篠田麻里子だった。
2005年に秋葉原を訪ねた際、当時まだAKB48劇場内のカフェ「48's Cafe」のスタッフだった篠田麻里子が路上でチラシを配っていた。それを受け取った北川さんは、吸い込まれるように劇場に足を運んだ。そこには、熱狂的に声援を送る男たちがいた。
「なんだ、これは......」初めて見る光景に圧倒されながらも、北川さんは「秋葉原って面白い」と感じたそうだ。
ちなみに、2005年は秋葉原のメイド喫茶が話題を呼んだ年で、新語・流行語大賞には「萌え~」がトップ10入りしている。
秋葉原独特の熱気に触れた北川さんは、マンガ喫茶の研究を皮切りに、サブカル路線に舵を切った。研究対象は、出会いカフェ、ラブホテル、パチンコなどに広がっていった。
そのうちに、「サブカルに詳しい建築の人」として知られるようになっていった。
北川さんが着目していたのは、「家以外のスペースで、人はどういう生活をしているのか」。
それが、意外な依頼を引き寄せる。
2011年4月15日、北川さんは宮城県の石巻中学校にいた。
前月に起きた東日本大震災により、石巻中学校は被災者の避難所になっていた。
「家以外のところでの生活」に詳しい北川さんの意見が聞きたいと、朝日新聞から同行取材の申し入れがあったのだ。
現地に到着したのは夜で、冷え冷えとした体育館のなかを1時間ほど案内してもらった。
その間、ずっと北川さんについてまわるふたりの男の子がいた。
小学校3年生と4年生のふたりは、視察を終えた北川さんが「それでは失礼します」というと、近づいてきてギュッと人差し指を握り、「ちょっといい?」と引っ張り始めた。
ふたりは北川さんを校庭が見える場所まで連れていくと、校庭を指さした。
「仮設住宅が建つまで、なんで3カ月も6カ月もかかるの? 大学の先生なら、来週建ててよ」
北川さんは、黙り込んだ。数秒経ってから出てきた言葉は、「ちょっと待っててね」。
それしか言えない自分が、歯がゆかった。