「がんになって初めて、こんなに幸せ」 50代看護師は病を得て人生を切り開いた
病気には、生活習慣病のように予防できたり、努力によって改善できるものがあります。感染症のように、以前なら多くの人が亡くなった病気でも、いまでは特効薬ができて、克服できた病気もあります。がんも昔に比べると、完治できたり、長期に延命できるようになってきました。
しかし、人はそれを乗り越えても、また病気になりいずれ死を迎えなければいけないのです。この事実を考えると、病気は理不尽なものに思えるかもしれません。
私は、「病気は人生の一部である」と考えています。病気はほとんどの人が経験する自然な現象だからです。それならば、病気になることは自分にとってどんな意味があるのかと、あえて問うてみてもいいかもしれません。
ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者のビクトール・E・フランクルは「人間は人生から問われている存在である。人間は生きる意味を求めて人生に問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはいけない」と言いました(『夜と霧』より)。
これを人生のなかに起こる、病気というものに当てはめて考えてみるとどうなるでしょう。「なぜ私は病気でこんなに苦しまないといけないのか」と考えるのではなく、「この苦しい病気はなぜ私に与えられたのか」と発想することになります。
私は緩和ケア医になって患者さんからたくさんの大事なことを教わりました。そのひとつが、「病気は私たちのこころを成長させる大きな機会」だということです。
がんのような命を脅かす病気になったとき、私たちは誰しもが自分の死を意識せずにはいられません。死の恐怖に怯え、もがき、苦しむこともあるでしょう。そのなかで、いままで生きてきた自分の人生を振り返ります。そして、人生の真の意味を見出す人もいるのです。
病むことで学べる、成長できる
50代の女性で、すい臓がんの患者さんのお話をします。
彼女は現役の看護師でした。がんと診断されたときすでに手術ができない状態で、彼女の勤めていた病院での抗がん剤治療となりました。しかし、抗がん剤の副作用が強く出て、多臓器障害となり、入院での治療が必要に。ようやく体調が戻ってきた頃、彼女から私に話したいことがあると言ってこられました。彼女は最初、手術ができないと聞き、自分はなんて不幸なのかと嘆いたそうです。
「仕事もまだまだこれからだと思っていたし、病気になったら家族に迷惑をかけてしまう。神様なんていない、と思いました。今回の入院治療は本当につらかった。意識ははっきりしなくなったし、痛みで寝られない日々が続きました。死を覚悟しました。でも、命を助けてもらいました。私は、自分が患者になって気づいたことがたくさんあります。
まず何の薬かわからないと不安で、説明を受けるまでは薬を怖くて飲めませんでした。ああ患者さんはこんな不安を抱えていたんだ。自分はその気持ちに寄り添えていなかったと、本当に身に染みました。