日本で研究不正がはびこり、ノーベル賞級研究が不可能である理由
JAPAN’S GREAT SETBACK
国立大学の法人化を機に研究者の研究費と研究時間が減ったことは政府も認めている。2017年版の科学技術白書は、日本の基礎科学の「三つの危機」の1つとして「研究費・研究時間の劣化」を挙げ、その原因として、運営費交付金などの基盤的経費の削減、競争的資金獲得の熾烈化を指摘した。交付金削減も競争的資金拡大も政府の政策なのに、まるで人ごとのような言いようだ。
国立大学の研究開発費総額は1990年代中葉からほとんど増加していない。文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)のデータによると、2000年を基点とした18年の主要各国の研究開発費は、物価変動の影響を排除した実質額で中国が11.8倍、韓国が4.3倍、アメリカが1.5倍に増加しているのに対し、日本はわずか1.3倍だ。物価換算した研究者1人当たりの研究費も、35年間全く増えていない。2017年にNISTEPが実施したアンケート調査では、研究者の83%が研究費が足りないと回答するありさまだ。研究時間も減っている。文科省の調査では、国立大学法人化以前と以後では大学研究者の研究時間が25%も減少し、研究者のほとんど全ては研究時間が足りないと嘆いている。
研究者は「1回でアウト」に
大学研究者の「貧乏暇なし」が続いた結果、一国の科学技術力の指標となる総論文数の国際シェアは下降の一途をたどり、日本の大学の世界でのランキングも下がり続けている。
自然科学系の全世界の論文数は1981年の約40万本から2015年には約140万本に増加した。3.5倍である。各国が論文数を増やし続けるなかで、唯一、日本だけが近年、論文数を減らしている。1990年代後半に横ばいの時代を迎え、2000年代に論文数世界2位の座から陥落し、2013年以降減少基調に入った日本の現在の位置は、米中英独に次ぐ5位まで降下した。質の高い論文の指標となる被引用数の多い論文の数も減り続けている。
日本の未来にとって最も深刻なのは、科学者の卵を育てる大学院博士課程の空洞化だ。大学院博士課程の進学者は2003年以降、減少の一途をたどっている。将来、科学者になる可能性が高い学生はピーク時の半数に減ったと推定される。その理由は、大学の人員削減によるポスト不足のせいで、博士になっても職がないことだ。
博士課程修了者が新米科学者として最初に就く大学の助教か公的研究所の研究員のポストが、絶望的に不足している。背景には安定したポストにある研究者が高齢化し、40歳以上が大半を占めるという構造的な問題がある。博士課程修了後にすぐ、大学助教や公的研究機関の研究員など雇用期限のない安定したポストに就けるのはわずか7.5%で、1割にも満たない。そのため大半の理工系博士課程修了者は、科学者になるのを諦めて企業に就職し開発研究やエンジニアの道に進むか、40歳を過ぎるまで身分が不安定な3〜5年の任期付きの研究職を転々とすることになる。このような状況で、誰が科学者になろうという夢を持ち続けることができるだろうか。
もちろん、大学院修士課程の学生の多くは博士課程進学を躊躇している。就職難に加え、経済的負担も大きいからだ。大学・大学院博士課程の通算9年間に必要な学費・生活費などの資金は平均で1779万円。標準的な収入の家庭が気軽に支出できる額ではない。そのため、奨学金や学費免除の制度はあるが、日本の学生支援制度は非常に寂しい状況にある。