最新記事
文学

芥川龍之介と黒澤明の『羅生門』で心をリセットする──ゴールデンウィークに読破したい、「心に効く」名文学(1)

2023年5月3日(水)14時53分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

この予想外のハッピーエンドは、観衆の脳を強く揺さぶる。映画評論家の清水千代太は衝撃のあまり、この結末は「間違い」だと黒澤を批判したほどだ。

だが、この結末は間違っていない。芥川の元の小説の結末を変えることで、それを背後から支える「再検討」というイノベーションをさらに徹底しているのである。

この第二の「再検討」により、『羅生門』はポストモダン的な懐疑主義への新たな試みだとするこれまでの確信が、この映画は前近代的な感傷主義を復興させるものだとする新たな確信による挑戦を受ける。

すると観衆は、この相反する2つの確信に疑念を抱き、それまで心のなかに抱いてきた信念から引き離されて心神喪失に陥り、どこかのある時点で、自分は信じられないことを信じていたことに気づく。

この心神喪失は、疑心暗鬼ほど長続きしない。そのため観衆のなかには清水千代太のように、自分に疑念を抱く状態から、他人を非難する状態へと移行してしまう者もいる。「ここはあなたが間違っている」というわけだ。

しかし、心神喪失を拒絶して疑心暗鬼を優先していては、自分自身の思考を検証する機会を失ってしまう。

そのため芥川以降の作家たちが、その機会をもっと利用できるよう手助けする文学作品で世界中の図書館を満たしてくれている。語りの反復や修正、語り直しなどの技法を使い、自己点検を促す既視体験をもたらす作品である。

たとえば、ジェイムズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』[邦訳は丸谷才一、集英社、2014年など]、ネラ・ラーセンの『パッシング/流砂にのまれて』[邦訳は鵜殿えりか、みすず書房、2022年]、ベルトルト・ブレヒトの『母アンナの子連れ従軍記』[邦訳は谷川道子、光文社、2009年など。『肝っ玉おっ母とその子どもたち』という邦題もある]、チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』[邦訳は粟飯原文子、光文社、2013年]、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』[邦訳は伊藤典夫、早川書房、1978年]、フィリップ・ロスの『ポートノイの不満』[邦訳は宮本陽吉、集英社、1978年]、アマ・アタ・アイドゥの『アワ・シスター・キルジョイ(Our Sister Killjoy)』[未邦訳]、ティモシー・モーの『過剰な勇気(The Redundancy of Courage)』[未邦訳]、J・M・クッツェーの『恥辱』[邦訳は鴻巣友季子、早川書房、2007年]などがある。

自分の考えとは違う考えを望まないような人は、こうした心神喪失体験をもたらす本で頭をリセットしてみてほしい。

そういう人は、見るものすべてを信じてしまう運命にあるのかもしれないが、フィクションという紙の筒をのぞいてみれば、別の見方ができるようになる。


 『文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明
  アンガス・フレッチャー [著]
  山田美明[訳]
  CCCメディアハウス[刊]


(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

インタビュー:戦略投資、次期中計で倍増6000億円

ワールド

トランプ氏、イスラエル首相と来週会談 ホワイトハウ

ビジネス

ロビンフッド、EU利用者が米国株を取引できるトーク

ワールド

トランプ氏、シリア制裁解除で大統領令 テロ支援国家
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 6
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 9
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 10
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中