ガルシア=マルケスの発明「詩的歴史」と後継者たち──ゴールデンウィークに読破したい、「心に効く」名文学(3)
ガルシア=マルケスの1周忌に書店のイベントとしてファンからのメッセージが添えられた(2015年、メキシコシティ)Henry Romero-REUTERS
<つらい過去や不運な今を断ち切ることはできるのか? 小説が教えてくれる、「運命」との付き合い方について>
※ ルイス・キャロルが児童文学に加えた「心地よい魔法」とは?──ゴールデンウィークに読破したい、「心に効く」名文学(2) から続く。
人が物語に救われてきたのはなぜか? 文学作品が人間の心に作用するとき、我々の脳内では何かしらの科学変化が起きているのだろうか。
版権の高騰がアメリカで話題となった、世界文学を人類史と脳神経科学でひも解く、文理融合の教養書『文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明』(CCCメディアハウス)より第20章「未来を書き換える」を一部抜粋する。
ボルヘスを再発見した『百年の孤独』
『アステリオーンの家』は850語にも満たない短編小説、『変身』はおよそ1万9000語から成る短めの中編小説だが、『百年の孤独』は14万4000語以上に及ぶ叙事詩である。
この叙事詩的な長さから、詩人のかつての発見を再々発見しようとするガブリエル・ガルシア=マルケスの並々ならぬ野心が読み取れる。まずは詩人が、言葉を言い変える方法を発見した。
次いでカフカやボルヘスが、世界をつくり変える方法を発見した。そしてマルケスは、それをさらに発展させた。
詩的言語と詩的物語というかつての発明を利用して、詩的歴史という新たな発明を生み出した。それは読み手の集合記憶を別のものに置き換え、読み手がどこから来て、それぞれどこへ向かうことが可能なのかを再学習するよう促す。
この置き換えは、『百年の孤独』の冒頭の一文から始まり、最初の章全体を通じてその範囲を広げていく。それにより読み手は、一連の「幻覚的体験」に引き込まれ、そのなかで否応なく「想像力(中略)の限界を極限にまで」高めていく。
旅まわりの一家が持ってきた姿が見えなくなる薬、ブタの尻尾が生えた少年、空飛ぶじゅうたんをまのあたりにすることでドーパミンが放出され、可能性に満ちた軽い興奮で脳が満たされる。
この軽い興奮が始まると、読み手は積極的な再発見へと向かう。大佐の父親とともに絡み合ったシダを切り開きながら進み、海から離れた内陸に鎮座するスペインのガリオン船を見つける。これも明らかに幻覚的体験である。だが......。
数年後、アウレリャノ・ブエンディア大佐は再びこの地を通った。そこはすでに定期的な郵便ルートになっており、ガリオン船はもはや、ケシの野原に焼けた骨組みが残るのみとなっていた。そのとき初めて大佐は、あの話が父親の想像の産物ではなかったことを知り、ガリオン船を内陸のこの地点までどうやって運んだのかと思った。
大佐が父親の最初の発見を再発見したとき、読み手もまた、そこで立ち止まり、新鮮な目でそれを見つめるよう促される。その休止のなかで、既存の重力の法則を再考し、かつてはとても不可能と思われた船の旅に心を開いていく。
緑のジャングルを通り抜け、オレンジのように丸い世界を進んでいく船の旅である。