監督が明かす『ラーゲリより愛を込めて』制作秘話 シベリア抑留者たちの息遣いを探して
ORDEAL IN SIBERIA
主演の二宮和也 ©2022映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989 清水香子
<ソ連の写真は役に立たなかった、収容所によって厳しさは千差万別だった、山本幡男さんの妻モジミさんは「チャーミングなお母さん」に変更した......。12月9日公開作の瀬々敬久監督が特別寄稿>
原作の『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(辺見じゅん著)をプロデューサーから手渡されたのが2019年の1月頃だった。第2次大戦後のシベリアの強制労働収容所が舞台となる映画を作ることになった。
1960年生まれの僕にとって、その記憶が子供の頃にはまだあった。毎年、夏になれば戦没者の遺骨収集が話題になり、特にシベリアの収容所で亡くなった人たちの遺骨については毎年のようにニュースに取り上げられていた。
二葉百合子の歌う「岸壁の母」がヒットしたのは1972年、僕は12歳。テレビから流れてくるこの歌をよく覚えている。
■【写真】『ラーゲリより愛を込めて』二宮和也演じるシベリア抑留者・山本幡男/映画の予告編映像
考えてみたら、映画の主人公である山本幡男(はたお)さんの仲間たちが最後に戻ってきた引き揚げ船、興安丸が舞鶴に到着したのは1956年、僕が生まれるわずか4年前のことだ。
戦後は決して終わってなんかなく、ここまで長く戦争の苦しみを被っていた人々がいた事実に驚いた。
そうして脚本づくりに入り、映画制作の具体的な準備が始まる。映画というものは「絵にしてなんぼ」で、今回は写真資料などを参考に収容所を作ったり、労働を再現したりしなければならない。
ところがその資料がほとんどなかった。ソ連から出されている写真はどれも清潔で快適な収容所の様子が映ったもの。先方に都合の良い写真しかない。
よって僕らが参考にしたのは、帰還した方々が記憶で描いた絵や文章だった。特に山下静夫さんの画文集『シベリア抑留1450日』は繊細で写実的なタッチで描かれたペン画で、「記憶のフィルムを再現する」と副題にあるように、あらゆる面で正確であり、なおかつ、その場面の臨場感が素晴らしかった。
助監督らの演出部は生き残っておられる抑留者の方々に取材に行った。それらのレポートを読んで感じたのは収容所によって労働や居住環境、その厳しさは千差万別ということだった。
収容所から出て、町で買い物をして戻ってくることが許される人もいれば、地獄の思いをした人もいる。そして時代の流れの中でも大きく変遷する。一概にシベリア抑留を一般化できないということに気付かされた。
そこに収容された人々もさまざまである。軍人だけでなく一般人もいた。樺太近辺で終戦後も漁をし続けていた漁師たちは、領海侵犯でソ連に捕らえられる。スパイの罪状で収容所送り、それらの例も多く見られた。映画の中でも主要人物として描かれる。
もちろん、根っからの軍人のほうが多い。女性だけの収容者のチームが歩いて移送されていくのを見たと言う証言もあった。