チェチェン・ロシアの同性愛弾圧を告発するためにディープフェイクを使うのは許されるか
『チェチェンへようこそ』は知られざるロシア同性愛弾圧の闇をえぐるドキュメンタリー映画だ MadeGood Films提供
<チェチェン同性愛者弾圧を告発する映画が問いかけるもの――ドキュメンタリーと報道を分けるディープフェイク「演出」の是非>
2月26日から日本で公開予定のドキュメンタリー映画『チェチェンへようこそ― ゲイの粛清―』は、国際社会と切り離されたロシア連邦内のチェチェン共和国、ラムザン・カディロフ政権下で起こっている過酷な同性愛者弾圧の現状を伝える作品だ。
本作品では証言者を保護するために、ドキュメンタリーとしてはじめてAI技術で顔情報を別人のものに書き換えるいわゆる「ディープフェイク(制作側では「フェイスダブル」と表記)」技術が採用されている。後半、ひとりの勇気ある証言者の告発記者会見での発言中、顔が次第に本人のものに変化していく演出がある。だが、もしこのシーンがなければ冒頭の「迫害により避難している人々の安全のためデジタル加工により本人たちの顔は隠されている」という注意書きを見てさえ、そこまでの登場人物の顔がいずれも本人のものではないとは意識しなかったかもしれない。
ディープフェイクはポルノや著名人への中傷などに使われることが多く、比較的廉価に実施できるようになってもいいイメージを持たれてこなかった。一方、映像作品や報道といった分野で一般的なモザイクやボイスチェンジャーは、たとえプライバシー保護の目的であっても本来視聴者に最も訴えかけるはずの表情や声を変質させ、非人間化してしまうという課題をずっと抱えていた。「人間としての表情」の存在がどれだけ見る側に訴えかけるのかは、この作品を観ればよくわかるはずだ。
ではディープフェイクは今後普遍的な表現手法として定着していくのだろうか? 話はそう簡単ではないかもしれない。誰かの顔情報を使っている(=完全な創作ではない)とはいえ、ディープフェイクは映像加工の技術のひとつだ。実在の人物が登場するニュース報道においては、虚構との境界線を曖昧にする技術は視聴者を混乱させかねず、採用されることは難しいだろう。
だがあくまで監督の視点で描く「作品」であるドキュメンタリーであれば、本作のように場合によっては許容されるかもしれない。実際にチェチェンを脱出した反体制派が国外で危害を加えられるような事態も発生しており、証言者が被り得る不利益を考えれば保護の必要性は高いからだ。しかしどんな場合でも絶対認めないという人もいるだろうことは想像に難くない。
本作のエグゼクティブプロデューサーであるジャスティン・ミキータは「この作品を通して各国政府の関心を集め、カディロフの蛮行を止めたい」と、ヴァラエティ誌の取材に語る。そうした強い意図の一方で、チェチェンが同性愛への拒否感が強いイスラム教信徒が多い国であるという背景は語られていない(逆に冒頭で「世俗国家であるはずの国で...」と述べられているなど、チェチェンというよりはロシア連邦の問題として描かれているようにも感じた)。つまり、これはあくまで濃淡をつけられた「作品」である。そのことは忘れてはならない。とはいえ、制作陣・出演者が高い危険を冒して撮った映像の価値が損われるものではない。