年末定番の「くるみ割り人形」はなぜ最も愛されるバレエになったか
2年ぶりに帰ってきた「くるみ割り人形」
昨年は2019年に上演した「くるみ割り人形」をストリーミング配信したNYCBだが、この秋は舞台上演を再開した。ニューヨーク市民にとっても観光客にとっても、66年前から続く伝統の「くるみ割り人形」公演が戻ってきたのだ。
「『くるみ割り人形』をまた上演できるというのは、これまで私たちがやってきたことがすべて報われるということだ」とスタッフォード氏。「街にこの贈り物を届けるために、そしてダンサーたちを舞台に呼び戻すために、あれだけ時間をかけて感染防止対策を練ったのは無駄ではなかった」
「くるみ割り人形」が上演できれば、多くのプロのバレエ団にとって財務面での安定にもつながり、1年の他の時期に芸術的な冒険を試みる余裕も出てくる。
「運営予算という点で、『くるみ割り人形』は収支をバランスさせる効果が大きい」とスタッフォード氏は言う。「それによって、もっとクリエーティブになれる。リスキーな演目にチャレンジする可能性が開ける。私たちがこれだけの数の新作に挑戦できるのは、この演目のおかげだ」
こうして「くるみ割り人形」は全米の、そしてそれ以外の国のダンスカンパニーに恩恵をもたらしているが、その人気はNYCBと、その創設者であるロシア生まれの振付師、ジョージ・バランシンによるところが大きい。NYCBは今もバランシンによる1954年初演のオリジナル振付に従って上演している。
子どもの起用がヒットへ
E.T.A.ホフマンによる1816年の童話『くるみ割り人形とねずみの王様』を原作とするこのバレエは、1892年、ロシアのサンクトペテルブルクで初演された。振付はマリウス・プティパとレフ・イワノフ、作曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーである。評判は芳しくなく、初演は不成功に終わった。ジェニファー・ホーマンズ氏は著書『Apollo's Angels: A Histroy of Ballet(アポロの天使:バレエの歴史)』の中で、当時の批評家はこの作品をロシア帝国演劇界に対する「侮辱」で、「バレエ団の死」を意味するとまで酷評したと紹介している。
それ以降、さまざまな振付師がこの作品をよみがえらせようと試みた。あらすじは、主人公の少女クララがクリスマスイブにくるみ割り人形(=王子)とともにお菓子の国に旅するという物語だ。だが実際に人気作品となるには、1954年、ジョージ・バランシンの振付によるNYCB版を待たなければならなかった。
バレエの第1幕はクリスマスパーティーが舞台だが、1954年の初演は2月で、当時は12月のホリデーシーズンとは関連付けられていなかった。では、その後NYCBが毎年クリスマスに上演するほどの成功となった理由はどこにあるのだろうか。
考えられる理由は「子ども」だ。バランシン振付の「くるみ割り人形」は、彼が設立した「スクール・オブ・アメリカン・バレエ」の幼い生徒たちが初めて起用された作品であり、今日に至るまで、同バレエ団のどの作品よりも多くの子どもが出演する舞台となっている。例年(つまり、子どもたちが感染症に脅えずにすんでいた年)、NYCBでは8ー12歳の子どもを126人、ダブルキャスト体制で出演させている。
幼い頃ロシアで暮らしていたバランシンはバレエ教室が大嫌いだったが、たまたま「眠れる森の美女」の舞台に出演したことが彼を変えた。そして、自分がバレエ教室で何を目指しているのかを子どもたちが理解できるよう、子どもに出演機会を与えたいと考えた。
バランシンは、単にまばゆいライトや華やかな衣装で幼いダンサーたちを魅了することだけに留まらず、観客を引き込むために子どもたちをバレエに登場させたいと考えた。「くるみ割り人形」は子どもの視点から語られる物語であり、バランシンは、幼い登場人物を現実の子どもが演じることを望んだのである。