ビートルズ最高の作詞家がジョンではなく、ポールであることを伝えたい
The Marvel That Is McCartney
レノンが殺害されてわずか数時間後に取材されたときは、不謹慎とも取れる対応でマスコミと音楽ファンに総スカンを食らい、何年も悪評に苦しんだ。改めてニュース映像を見ると、胸が痛む。そこに映るのは悲しみに打ちひしがれ、有名人の不幸に群がる記者たちの前で必死に平静を保とうとしている1人の男。目には恐怖ともろさが宿っている。
そういうわけで『詩集』から意外な素顔が浮かび上がらなくても、驚くには当たらない。エッセーの多くも、ファンにはよく知られた内容だ。
「イエスタデイ」を最初は「スクランブルエッグ」と呼んでいたこと。「ペニー・レイン」で故郷リバプールの風景を描いたこと。「ヘイ・ジュード」の一節を書き換えるつもりだったが、レノンの強い勧めで残したこと。
母親愛用のの「ニベア」が生んだ詞
目新しい話題は乏しいが、だからこそ小さな発見が光る。幼少期を振り返るくだりもいい。「エリナー・リグビー」の中の「瓶から仮面を出して着ける」は、母が愛用していたニベアのクリームがヒントになったという。
サウンドの作り方も素晴らしい。73年にポール・マッカートニー&ウイングスで発表した「レット・ミー・ロール・イット」について書いた項で、マッカートニーはギターリフについて、こうつづる。
「相手に近づきたいが、心を開く覚悟はできていない──そんなためらいを唐突に始まり唐突に終わるリフで表した。何度も曲の勢いを遮るギターに、テーマを重ねた」
私にとってマッカートニー作品の魅力は、何より言葉の意味の限界を受け止め、「歌詞を目当てにロックを聞く方はお引き取りください」とやんわり諭すような姿勢にある。
「トゥ・オブ・アス」をめぐるエッセーでは、そんな姿勢が浮かび上がる。ビートルズ最後のアルバム『レット・イット・ビー』の収録曲「トゥ・オブ・アス」は、作為の跡を感じさせない伸びやかな名曲。こんな歌を作ることができるなら、ほとんどのバンドは魂を差し出すだろう。
マッカートニーが当時の妻リンダについて書いた曲だが、実際にマッカートニーとレノンのデュエットに耳を傾ければ、2人の愛の歌にしか聞こえなくなる。当人同士が二人三脚を卒業しても、声はまだ深く愛し合っていたのだ。
エッセーでマッカートニーは「2人で当てもなく車を走らせる/誰かが苦労して稼いだ/金を使って」という部分は意味がよく通らないと書いた上で、告白する。「私は必ずしも歌詞に意味を求めない。(意味がなくても)しっくりくることもあるのだ」
作詞家マッカートニーの神髄を、これ以上的確に伝える言葉はないだろう。
©2021 The Slate Group