最新記事

日本社会

20万円で売られた14歳日本人少女のその後 ──「中世にはたくさんの奴隷がいた」

2021年7月18日(日)08時35分
清水 克行(明治大学商学部 教授) *PRESIDENT Onlineからの転載

おそらく「人を買い取ったら、ふたたび返さない」というのも、購入時の相場と買い戻し時の相場の激変があることを見越して、そうしたトラブルを未然に防ぐために生み出した法慣習と見るべきだろう。

「正義」の反対は「悪」ではない。「正義」の反対には「もう一つの正義」が存在していたのである。

人身売買が「悲劇」「克服すべき悪弊」に変わり始める

東京都墨田区の隅田川沿いの公園に、木母(もくぼ)寺という寺がある。そこは梅若丸少年を祀る寺で、寺内にはガラス張りの梅若念仏堂、隣には梅若丸を葬った梅若塚が残されている(寺号の「木母」は「梅」を2字に分割したもの)。

「隅田川」のストーリー自体はフィクションであるが、室町時代には無数の「梅若丸」がいたはずで、そうした悲劇をいまに語り伝える遺跡といえるだろう。毎年、梅若丸が絶命したとされる4月15日(旧暦3月15日)には、「梅若忌」が営まれている。

春は、現代人にとっては生命の活力蘇る季節として花見だ入学式だと喜ばれるが、中世では3~4月は、前年秋の収穫物を消費し尽くして、5月の麦が収穫される前の、最も飢餓に襲われやすい過酷な季節だった。

実在の「梅若丸」たちも、この時期に身を売られたり、儚くなったにちがいない。梅若丸の命日が「3月15日」というのも、そんな中世の記憶を反映しているのかも知れない。

室町時代は飢饉や戦乱で人身売買がさらに盛んに行われた時代だが、唯一の救いは、そうしたなかで、「自然居士」や「隅田川」など人身売買を「悲劇」とする文芸が多数生まれたという点だろう。

一方では鎌倉時代以来の「餓身を助からんがため」人身売買を許容する風潮も根強くあったが、時代はしだいに人身売買を「悲劇」として語るようになり、人々に「人身売買は克服すべき悪弊である」という自覚が生まれていったのである。ここに、わずかながらの歴史の「進歩」を認めることができるかも知れない。

「まだ私たちは長い歴史の発展途上にいる」

天正18年(1590)4月、小田原北条氏を滅ぼし天下統一を果たした豊臣秀吉は、関東の大名たちに宛てて人身売買の全面禁止を命じている。とくに東国は、人身売買が野放しの土地柄だった。

「東国の習いとして女・子供を捕えて売買する者たちは、後日でも発覚次第、成敗を加える」(真田昌幸宛て朱印状)。中世から近世へ、時代は人身売買を必要悪として黙認する社会から、それを憎むべき悪弊とする社会へと変化していったのである。

『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』しかし、残念ながら現代の日本社会においても、「奴隷」は存在している。借金で縛られ、あるいは口ぐるまに乗せられ、体罰や脅しによって自由を奪われ、売春や不当な低賃金長時間労働を強いられる人々は、明確に「奴隷」と定義される。

国際NGOのウォーク・フリー・ファンデーションによれば、その数はわが国だけで3万7000人にものぼるという(2018年現在「世界奴隷指標」)。人間を隷属させることを「悲劇」とする発想を中世日本人は獲得したものの、いまだそれを完全に克服した社会は訪れていないのである。

まだ私たちは長い歴史の発展途上にいる。この事実のもつ意味は、重い。

清水 克行(しみず・かつゆき)

明治大学商学部 教授
1971年生まれ。立教大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門は日本中世社会史。「室町ブームの火付け役」と称され、大学の授業は毎年400人超の受講生が殺到。2016年~17年読売新聞読書委員。著書に『喧嘩両成敗の誕生』、『日本神判史』、『耳鼻削ぎの日本史』などがある。


※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら
presidentonline.jpg




今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

米経済、イラン情勢の打撃なし 海峡通航徐々に再開と

ワールド

EXCLUSIVE-イラン新最高指導者、米との緊張

ビジネス

独ZEW景気期待指数、3月は-0.5に急低下 中東

ビジネス

JPモルガン、英利下げ時期の予想を先送り 27年第
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:イラン革命防衛隊
特集:イラン革命防衛隊
2026年3月24日号(3/17発売)

イスラム神権国家を裏からコントロールする謎の軍隊の歴史と知られざる実力

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    住宅建設予定地に眠っていた「大量の埋蔵金」...現在の価値でどれくらい? 誰が何のために埋めた?
  • 3
    「ネタニヤフの指が6本」はなぜ死亡説につながったのか?
  • 4
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 5
    「危険な距離まで...」豪ヘリに中国海軍ヘリが異常接…
  • 6
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」…
  • 7
    「筋肉はモッツァレラと同じ」...なぜウォーミングア…
  • 8
    「映画賞の世界は、はっきり言って地獄だ」――ショー…
  • 9
    幼い子供たちの「おぞましい変化」を克明に記録...「…
  • 10
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」と言われる外国特派員の私が思うこと
  • 4
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 5
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 6
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 7
    職業別の収入に大変動......タクシー運転手・自動車…
  • 8
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開さ…
  • 9
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 10
    世界の視線は中東から日本へ...企業主導で築くインド…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 5
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 6
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    「水道水」が筋トレの成果を左右する...私たちの体に…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中