最新記事

日本

知らない女が毎日家にやってくる──「介護される側」の視点で認知症を描いたら

2021年4月26日(月)16時45分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
女性の靴

paylessimages-iStock.

<今や、65歳以上の6人に1人が認知症だ。しかし、自分が認知症患者になることを想像するのは難しい。エッセイストの村井理子氏が当事者の不安や苦しみを筆に乗せた家族のドラマ、『全員悪人』を一部抜粋する(前編)>

父や母、義父、義母、あるいは祖父母......。身内の誰かが認知症になる。考えられなかったような行動が増え、ときに理不尽に感情をぶつけられもする。

全ては病気ゆえのこと。頭では分かっていても、ついいら立ち、悲しくもなり、自己嫌悪に陥ってしまう。認知症患者を抱える多くの家族にとって、やるせなさはつきものだ。

一方、自分自身も家族も健康な場合、認知症はどこか遠い病気である。

なんだか大変そう、というイメージはある。少し具体的に、自分が介護者となる想像をすることはせめてできるかもしれない。

しかし、自分が被介護者となる、すなわち患者となる想像をリアルにすることは少ないのではないか。現在、65歳以上の高齢者の約6人に1人が認知症患者であると言われているにもかかわらずだ(内閣府「平成29年度版高齢社会白書」)。

翻訳家でエッセイストの村井理子氏は、新刊『全員悪人』(CCCメディアハウス)で、介護される者の目を通して、認知症患者の日々を書いた。

幼い息子を遺し、突然死したシングルファーザーのちょっと困った兄を書いたエッセイ『兄の終い』(CCCメディアハウス)に次ぐ、家族のドラマである。

「家族の認知症」を書いた作品は数多い。しかし、患者本人が記録を残しづらい認知症という病気にあって、当事者の不安や苦しみを真摯にあぶり出そうとしたところに、村井氏の家族に対する思いがある。

決して、リアリティのないきれいごとにはしない。ただ、認知症になった家族のいら立ちを理解しようとし、ともに長い時間を過ごし、見つめ、筆に乗せた。

『全員悪人』の冒頭を2回に分けて抜粋紹介する。

◇ ◇ ◇

プロローグ――陽春

寝室の窓から柔らかな光が差し込んでいる。可愛らしい小鳥のさえずりが聞こえてくる。天井の模様も、ベッド横の棚も、すべて見慣れたもののはずなのに、自分がどこにいるのかわからない。

私はいつ寝たのだろう?
今日は何曜日?
ここは誰の部屋?

布団からそっと右手を出して、枕元に置いてあった眼鏡をかけた。

左を見ると、見知らぬ老人がいびきをかいて寝ている。

誰、この人。見覚えがない。こんな皺だらけのお爺さんなんて知りません。どちらさま? 誰かに似ているようですけれど。どこかでお会いしたことがあるかもしれないですね。ねえ、私が知っている誰かさん。ちょっと起きてくださいな。お顔をしっかり見せてください。

もしかしたら......お父さん?

この横顔はお父さんかもしれない。ああ、お父さんじゃないの。ほらほら、ちゃんと布団をかけなくちゃ。少し肌寒い朝なのだから、風邪を引いてしまうじゃないですか。それでなくても、去年のとても暑い日に脳梗塞で倒れて、三ヶ月も入院していたでしょう? え、三ヶ月も入院? どこの病院で?

あれは確か......。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

ミャンマー地震の死者1000人超に、タイの崩壊ビル

ビジネス

中国・EUの通商トップが会談、公平な競争条件を協議

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 6
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最古の記録が大幅更新? アルファベットの起源に驚…
  • 10
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中