「オタ活」がはらむリスクに無自覚な若者たち──オタクコミュニティの残念な現実とは
筆者は、SNSにおけるオタクのコミュニティの性質を十分に理解しないで若者が他のオタクと交流することに危機感を抱いている。オタクという言葉が気軽に使われるようになった結果、若者がオタクのコミュニティの実態を知らないまま気軽にコミュニティ参加してしまい、自身の抱いていたイメージとの間にギャップが生じてしまうという現象が起きているためである。
筆者はこの要因として、「ファン資本」と「コンテンツ市場の性質とオタクの定義」が関係していると考えている。(図表1参照)
ファン資本
ファン資本とは、ファンコミュニティで相互作用を行うための元手となるもののことである。オタクのコミュニティにおいては、オタク同士の情報交換や交流といった「相互作用」が不可欠である。
Twitterで言えば有益な情報を発信することが、他のオタクたちにとって"ため"になることであり、その情報は、より多くのオタクに拡散されることで、情報としての価値を高める。つまり、他のオタクから承認されたり、狭義のコミュニティを拡大するうえで、いわばその元手となるのがファン資本なのである。
ただ、このファン資本は、実社会における実資本によって成立しているということを、多くの若者は認識してはいない。この場合における実資本とは、我々自身の経済力や人脈、スキルといった社会生活を送る上での元手のことであり、その中には経済資本、社会資本、文化資本が存在する。
実社会のコミュニティでは、相手の人となりを日常の交流を通して認識していくが、SNSにおけるコミュニティは繋がり合うきっかけが「趣味嗜好」であるため、相手の本名はおろか、年齢や性別もわからないまま交流をすることが一般的である。
そのため、趣味嗜好に対するベクトルのみが接点であるがゆえに、SNSにおけるオタクのコミュニティでは、一見、実社会における社会的立場はフラットな状態に見える。しかし、フタを開ければ交流をしていた相手が確固たる経済基盤を持った大人ということもありえる。
その結果、このように実社会での人となりを考慮に入れず、他のオタクの消費行動を顧みて、若者オタクの間で身の丈に合わない高額浪費がされたり、経済力がないことに対する劣等感が生まれることが問題なのである。
コンテンツ市場の性質とオタクの定義
オタクという言葉に対する定義や認識が、従来のオタクと若者の考えるオタクとでは大きく異なる(図表2参照)。
従来のオタクは、他人から認識されることで成立しており、レッテルとしての側面が強かった。他人からオタクと思われたらオタクであり、決して自称するものではなかった。一方、最近の若者は、自称することでオタクは成立すると考えており、アイデンティティを顕示するように自身がオタクであることを発信している。
また、他のオタクは自身にとって比較対象ではなく、あくまでも仲間であるという考えが強い。この全く異なる認識を持ったオタクが消費者として、同じ対象物を消費しているということを若者が認識していないという事が2つ目の問題である。