医学部で人生初の解剖、人体が教科書通りでないことにほっとした気持ちになった
最初の緊張は割と早く解けた。そしてぼくたちは黙々と真剣に解剖に取り組んだ。解剖学が医学の基盤ということは十分に分かっていたし、何よりご遺体を前にして厳粛な気持ちが薄れることはなかった。実習は長期に及んだが、倦(う)むことなく弛(たゆ)むことなく粛々と専念した。
解剖が進むにつれて、一人の人間の肉体がどんどん細かい部分に分かれていく。すると「人間ってなんだろう」と高校生のときに考えた疑問がまた甦ってきた。人は肉体と霊の2つからできているという人がいる。でも、いま目の前にしているご遺体に霊が舞い戻ってきても、この人が生き返るとは思えない。高校の「倫理・社会」の授業で、実存主義について「実存は本質に先立つ」と習ったが、本当に人間とはまず物体として存在しているのだな......などと強く納得した。
この解剖実習の光景を一般の人は正視できないだろう。自分の体を献体に捧げた人も、当然、この実習の具体的な姿は知っていないだろう。おそらく献体をすると決めたときにその人は、「自分を捨てる」「身を捧げる」と決意して、自分の肉体を医学に奉仕させようとしたに違いない。それは、ある種の自己犠牲みたいなものだろう。あるいは仏教でいう慈悲の心に通じるようなものだろうか。
ぼくの真向かいに位置する女子学生は、男子学生に劣らず熱心に、そして積極的に解剖をこなしていた。大きめの眼鏡が愛らしい、少し華奢な女子学生だった。ぼくは解剖に熱中すると体を乗り出してしまう。彼女もそうだった。気が付くと、お互いの額がくっついていることもあった。
ぼくはこの女子学生が少し好きになってしまった。女性だからといって甘えないところが感じがよかったし、ぼくは一生懸命な人が性別を問わず好きだったのだ。でも、少し好きになっただけで、それ以上好きになることはなかった。私語を交わすこともほとんどなかった。
ぼくは自転車の前カゴに『分担 解剖学』と『解剖学の実習と要点』を乗せて、亥鼻山の坂を立ち漕ぎで駆け上がり、校舎に通った。1年近くに及んだ解剖が終わると試験が待っていた。試験官は、千葉大の先生だけでなく、他大学からも何人かの先生がやってきた。試験はかなり厳しいと聞いていたのでぼくたちはその日を緊張して待った。
試験官が訊く。
「○○神経はどれだ?」
「この神経の名前は何だ?」
ぼくはラテン語で答えた。すると教官は、
「何だ、その言い方は? どこの言葉だ?」
その試験官は英語を使う先生だった。