外国語が上手いかどうかは顔で決まる?──大坂なおみとカズオ・イシグロと早見優
欧米人にとっても、「言葉と顔」はある種の力を持っている
だが、それでもやはり、言葉と顔には私たちが思っている以上に根深い関係がある。実は外国人が自分たちの母語を話すことには慣れているはずの欧米人にとっても、「言葉と顔」はやはりある種の力を持っている。
ピュリツァー賞を受賞した世界的なベストセラー作家ジュンパ・ラヒリは、インド人の両親を持つアメリカ人である。しかし、イタリア語に魅せられて、2012年、ついに家族でイタリアに移住。彼女は嘆く。アメリカ人で白人の夫は自分よりもイタリア語が下手であるにもかかわらず、夫のイタリア語のほうが訛りがなくて完璧だとイタリア人が皆、口を揃えて言うことを。
「どんなによくできるようになっても、わたしとイタリア語の間に永遠に横たわる壁。わたしの顔かたち。泣きたくなる。叫びたい思いだ」(『べつの言葉で』、中嶋浩郎訳、新潮社)
では、さまざまな出自の人々が母語として英語を話すアメリカはどうだろうか。こんな報告がある。アメリカの大学で学生に英語ネイティブの講義のテープを聞かせて、訛りがあるかなどの評価をさせ、さらに学生がどこまで講義を理解したかをチェックした。そのとき、ひとつのグループには白人女性の写真を、もうひとつのグループには中国人の女性の写真を見せながらテープを聞かせたという。
すると中国人女性の写真を見せられたグループの学生は、英語が訛っていると思っただけでなく、講義の理解度がもうひとつのグループより劣ったという結果が出た。まったく同じ英語を聞いたにもかかわらず!(白井恭弘『外国語学習の科学』、岩波新書、2008年)
この実験はかなり前のものだが、今でも事情はあまり変わらないはずだ。実は話しているのは言葉ではなく、私たちの顔なのだと。それならネイティブのような発音を身に着けることに必死になるよりも整形したほうがいいということになり、それはそれで困るのではあるが。
[筆者]
平野卿子
翻訳家。お茶の水女子大学卒業後、ドイツ・テュービンゲン大学留学。訳書に『敏感すぎるあなたへ――緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる』(CCCメディアハウス)、『ネオナチの少女』(筑摩書房)、『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(河出書房新社、2006年レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)など多数。著書に『肌断食――スキンケア、やめました』(河出書房新社)がある。
2020年3月10日号(3月3日発売)は「緊急特集:新型肺炎 何を恐れるべきか」特集。中国の教訓と感染症の歴史から学ぶこと――。ノーベル文学賞候補作家・閻連科による特別寄稿「この厄災を『記憶する人』であれ」も収録。