死んだ人の遺骨も、ブッダと同じ「仏」と呼ばれるのはなぜか
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<「仏」とは何だろうか。日本人は伝統的に3種類の仏を考えてきたという。宗教学者が「死」を通して「生(せい)」の意義を考えた『しししのはなし』より>
お盆は先祖を家々に迎え、祭る時期。1年で最も「死」を身近に感じる季節と言えるかもしれない。
死とは何か。人は死んだらどうなるか。幽霊は存在するのか。親しい人や家族を亡くしたとき、どうすればいいか。自分もいつか死ぬなら、どのように生きていけばいいのか。自殺は悪いことなのか......そんなことを考える良い機会でもあるだろう。
そんなとき、この本が役に立つかもしれない。『しししのはなし――宗教学者がこたえる 死にまつわる〈44+1〉の質問』(正木晃・著、クリハラタカシ・絵、CCCメディアハウス)。
宗教学者である正木晃・慶應義塾大学非常勤講師が、日常に点在するさまざまな「死」を通して「生(せい)」の意義を考えられるよう、まとめた1冊だ。
この本はこんなふうに始まる。
人間は誰しも、刻一刻と、死に近づきながら生きている。死と聞いて何をイメージするかは人それぞれだろうが、生命あふれるこの世界は、裏を返せば死にあふれているということだ。
ここでは、この本の〈44+1〉の質問から3つを抜粋し、3回に分けて掲載する。第3回は「仏って、何でしょう?」。
※第1回:亡くなった人の気配を感じたら......食べて、寝て、遊べばいい
※第2回:死後世界も霊魂もないなら何をしてもいい──を実行した人がいた
43. 仏って、何でしょう?
二〇一一年三月一一日の東日本大震災から半年くらい経った頃、『毎日新聞』にこういう記事が載りました。震災のときに、四四歳のひとり娘を津波に流されて亡くされた、70歳代のご両親の話です。なかなか見つからなかった遺体が、やっと見つかって、火葬したときです。このとき、ご両親は娘さんの遺骨の入った骨箱を両手にかかえて、「これからはこの仏様を守っていきます」とおっしゃったのです。
ということは、ご両親にとって、娘さんの遺骨は仏そのものなのです。これは、本来、仏教信仰ではありえないことです。なぜなら、仏教でいう仏とは、ブッダ(お釈迦様)のように悟りを開いた存在か、もしくは阿弥陀如来のようにほとんど神に近い存在です。ですから、遺骨が仏ということは、絶対にありえません。
では、いったいなぜ、死んだ人の遺骨が仏という発言が出てきたのでしょうか。そこには、日本人に独特の考え方が秘められています。