歴史の中の多様な「性」(5)
もっと先へ いろいろな「性」の人、ジェンダー・セクシュアリティの人が共生できる、多様で豊かな日本になってほしい Dabitxu7-iStcokphoto.com
論壇誌「アステイオン」(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス)83号は、「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」特集。同特集から、自身トランスジェンダーであり、性社会・文化史研究者である三橋順子氏による論文「歴史の中の多様な『性』」を5回に分けて転載する。
※第1回:歴史の中の多様な「性」(1) はこちら
※第2回:歴史の中の多様な「性」(2) はこちら
※第3回:歴史の中の多様な「性」(3) はこちら
※第4回:歴史の中の多様な「性」(4) はこちら
おわりに――多様性とは豊かさである
最近話題の「同性パートナーシップ」問題から入って、もっぱら「男色文化」と「同性愛」の過去と現在について述べてきた。その一方で、私の本来の専門であるトランスジェンダー(性別越境)については、あまり触れなかった。
実は、『アステイオン』の依頼と前後して、評論誌の『ユリイカ』と『現代思想』(いずれも青土社)から執筆依頼があり、トランスジェンダーについて書きたいことは、そちらにだいたい書いてしまったからだ。トランスジェンダーについて興味がある方は、『ユリイカ』二〇一五年九月号の「トランスジェンダー文化の原理─双性のシャーマンの末裔たちへ─」と『現代思想』同年一〇月号の「日本トランスジェンダー小史─先達たちの歩みをたどる」を読んでいただけたら幸いに思う。
そこでも書いたことだが、私は、同性愛者やトランスジェンダーのような非典型な性をもつ人たちは、人類のどの時代、どの地域にも、ほぼ一定の割合で普遍的に存在する(いつでも、どこでもいる)と考えている。完全な証明は難しいが、いろいろ調べていくほどに、そう考えた方が合理的に思えてくる。つまり、同性愛者やトランスジェンダーが示す人間の性的多様性は、人類の文明に最初から組み込まれていたもの、「自然」なのだ。
そうした根源的・普遍的な存在を抑圧・抹殺しようとする方が「不自然」であり、その存在を承認して活用した方が、社会の在り方として優れていると思う。
違う言い方をすれば、ジェンダー・セクシュアリティの多様性は、すでに日本の歴史の中に存在しているということである。それを無視することなく、根本的な社会規範が異なる欧米にいたずらに追従するのではなく、私たちの先人が歩いてきた道筋をしっかり見つめながら、現代日本社会におけるジェンダー・セクシュアリティの多様性を裏打ちする形で生かしていくべきだと思う。
私は、一人のトランスジェンダーとして、「私はなぜこうなのだろう?」と自問することから始めて、自分と同じような人たちの歩みを遡る形で、トランスジェンダーの歴史研究に打ち込んできた。その結果、日本で初めてトランスジェンダーとして大学の教壇に立つことができた(二〇〇〇年、中央大学文学部)。口幅ったいが、自分なりの努力を重ねて日本のトランスジェンダー・スタディーズの基礎を作り、トランスジェンダーの社会進出の学術的な方面での道を切り開いてきた自負はある。しかし、そこまでが限界で、保守的な日本の学界、硬直した大学の人事システムの壁はついに打ち破れず、一介の「野良講師」で終わる。