社会を変えるのは、実は「風見鶏」タイプの人──ハーバード大学「権力の授業」より
POWER, FOR ALL
植民地が宗主国の支配を脱する、市民が独裁者や君主を倒す、多様な人種、民族、宗教、ジェンダーのアイデンティティーを持つ人々が対等な権利を要求する──どれも、集団行動の力で成し遂げられたものだ。
歴史を振り返っても、個人的な経験からも、いかなる形であれ過剰なパワーは警戒すべき対象だ。どんな人でも、十分なパワーと十分な時間を与えられれば、それを乱用するリスクが高まるのは避けられない。
ただし、パワーの一極集中を全面的に回避することはできなくても、社会科学の研究によってパワーの乱用を封じ込める方法に関する知見は積み上がっている。パワーの抑制には以下の2点を踏まえた構造的な制約が必要だ。
1点目は、パワーを個人または少人数の集団の手に集中させるのではなく、多くの人で共有すべきという点。もう1点は権力者に説明責任を負わせる必要があるという点だ。
組織であれ、社会全般であれ、パワーを共有できず、強者に説明責任を負わせられなくなると、権力の乱用と独裁が入り込む余地が生まれる。
この失敗を避ける唯一の方法は、市民が集団としてパワーを監視する責任を負っていると全員が自覚すること。
加えて、組織や社会でパワーの共有と説明責任を保護する制度を守り、改善していくためにも、集団の力を活用すべきだ。そのためには、リーダーを賢く選ぶ必要がある。
リーダーにふさわしいのは、あらゆる人々──出自や所属する社会集団に関係なく──のために社会的リソースを活用する覚悟があり、自由な発想と、社会の一員としての公共心を兼ね備えた人物だ。
そうしたリーダーを選ぶことができて初めて、私たちは道義的な人格と民主主義的な能力を武器に、市民としての「筋肉」を行使できるようになる。そして、仮に政治家や独裁者が民主主義を軽視しても、扇動やプロパガンダを見抜き、脅威を認識し、個人の権利と自由を取り戻すべく反撃できる。
必要なのは、パワーに背を向けることではない。個人として、また市民の集合体として、自らのパワーを理解し、構築し、行使すること。そして、個人の権利と自由を保障し、不公正なパワー構造と闘うことだ。
そのためには、私たち一人一人が、パワーは全員に関わる問題だと認識する必要がある。「パワーは万人のもの」なのだから。
『ハーバード大学MBA発 世界を変える「権力」の授業』
ジュリー・バッティラーナ&ティチアナ・カシアロ (著)
井口 景子 (訳)
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