イギリス金融街「負の遺産」に向き合う 奴隷貿易に関与していた過去を調査公表へ
イングランド銀行は今年、奴隷貿易とのつながりのあった歴代の総裁・理事らの肖像画・胸像10点を撤去し、広報担当者によれば、来年に同行博物館での展覧会において、彼らの関与について説明する予定だという。
シティー・オブ・ロンドンの市庁舎であるギルドホールでは、奴隷貿易とのつながりのあった政治家2人の彫像を撤去する決定が以前下されたものの、そのまま残される模様だ。
金融街シティーを統括するシティー・オブ・ロンドン自治体は今週、「説明を付した銘板または掲示」を隣に置くことを条件に、市長を2期務めたウィリアム・ベックフォードと商人ジョン・キャスの彫像を残すことを勧告する報告書について協議する。ともに奴隷貿易によって財をなした人物だ。
報告書は、2件の意見募集に対して2000以上の回答が寄せられたが、彫像の撤去を求める声は少なかったとしている。
負の遺産
西インド諸島における欧州諸国のサトウキビ生産用植民地は、17─18世紀にアフリカから運ばれた奴隷の労働によって建設された。そしてシティー・オブ・ロンドンは、大西洋をまたぐ人身売買のための金融の中心地だった。
歴史研究者の推定では、18世紀には英国の海運保険市場の3分の1─3分の2は奴隷貿易を基盤としており、プランテーションでの生産物を積んで欧州に戻る船舶に保険をかけていた。
18世紀の英国における海運保険大手3社のうちの1つがロイズだった。他の2社、つまりロイヤル・エクスチェンジとロンドン・アシュアランスは、後にAXA及びRSAの傘下に入った。
AXAは奴隷貿易との関わりについて謝罪を表明しており、社内をさらにインクルーシブ(包摂的)なものにする取り組みを行っているとした。
RSAは、その歴史において「今日の私たちの価値観を反映していない」側面があったとし、不公正と戦うことにコミットしていると付け加えた。
奴隷産業の遺産は今も残っている、と専門家は指摘する。
7月に英国の規制当局が発表した討論資料では、金融サービスにおける管理職に黒人系、アジア系、その他民族的マイノリティーが占める比率は10分の1に満たないことが示された。
イングランド銀行は、2028年2月までにシニアマネジャーに黒人系、アジア系、民族的マイノリティーが占める比率を18─20%に引き上げる目標を定めている。2020年11月時点では8.2%だった。
シティーの多様性向上が遅々として進まないことから、英金融行動監視機構に行動を求める圧力が高まっている。同機構は7月、シニアマネジャーの報酬を雇用面での多様性の改善とリンクさせる必要があるかもしれないとの見解を示した。
ACINは、保険各社が、シニアレベルに占める民族的マイノリティーの比率について目標を定めるべきだと提言している。
ロイズ・オブ・ロンドンの従業員は5万人近いが、黒人が占める比率はわずか2%だ。ロイズでは新規採用の3分の1を民族的マイノリティーにするという「野心的な計画」を掲げている。
「(奴隷貿易による負の)遺産も、こうした対応の理由の1つだ」と語るのは、デジタル保険企業マシュマロの共同創業者、オリバー・ケントブラハム氏。
「大切なのは、企業が本当に偏見のない、ジュニアレベルにひどく偏らないような面接プロセスをしっかりと用意し、(略)出自を問わずに人を採用するようにすることだ」
(Carolyn Cohn記者、Huw Jones記者、翻訳:エァクレーレン)