日本人が知らない「人民元」73年の歴史──5つの転機があった
THE MOMENTS OF GIANT LEAPS
変動相場制が導入された2005年に通貨を両替する観光客 NATALIE BEHRING-BLOOMBERG/GETTY IMAGES
<中国の経済成長と共に存在感を高めてきた人民元は、IMFから「国際通貨の象徴」に選ばれ、名実共に世界の表舞台に立った。何が飛躍の転機になったのか。AIIBや一帯一路もその国際化と関係しているのか>
(本誌「人民元研究」特集より)
1948年に人民元が発行されてから73年。
かつては激しいインフレに見舞われたり外貨交換には兌換券が必要だったりと世界経済では「弱小」だった人民元が、今や米ドルから基軸通貨の称号を奪うとの議論が起こるまでに存在感を高めた。
その背景には、急速な貿易の拡大に牽引された中国の経済成長があった。だが一国の通貨が国際的な価値と評価を得るには、自由な取引を認める法制度と売買を可能にする金融市場が不可欠だ。
人民元も例外ではなく、規制緩和と為替市場の構築を慎重に、だが着実に進めてきた。
その変遷においては5つの重要なターニングポイントがあったと、中国経済の独立系調査研究機関プレナム(北京)のパートナー、陳龍(チェン・ロン)は語る。本誌・前川祐補が聞いた。
――人民元が国際化へと動き始めた最初の転換点はいつだったのか。
2005年に米ドルとの固定相場制度を撤廃し、変動相場制に移行したときだ。1996年以降はおおむね1ドル=8.3元に固定されていたが、市場の動きに合わせるようになった。
もっとも完全な変動相場ではなく、1日の変動幅は中国人民銀行(中央銀行)が交付する中心レートの上下0.3%以内の変動幅に限定されていた。この幅は数年をかけて徐々に広がり2014年には2%まで拡大した。
ただ当時は取引できる主体が国内の投資家に限定されていたこともあり、国際化の入り口に立ったという程度だった。
より本格的なステップは2010年。香港において人民元の取引を解禁したことだ。中国本土以外で流通するいわゆるCNH(オフショア人民元)と呼ばれる人民元で、国外の投資家はこの資本市場の誕生によって人民元の本格的な自由取引が可能になった。
投資家はこのとき初めて、ドルやユーロなどの通貨と同じように人民元を取引できる感覚を得たのではないかと思う。
――国内(オンショア)と国外(オフショア)の2つの為替市場ができたわけだが、そうした理由は?
中国政府は通貨の安定を非常に重視している。制御できないほど取引が拡大したり相場が乱高下すると金融市場が混乱して国内経済が打撃を受けるため、自由化を慎重に進めた結果だ。
中国の為替当局は、1985年のプラザ合意による円高ドル安路線がその後の日本経済に与えた影響から多くを学んだ。