コラム

ユダヤ人虐殺を描いたマンガ『マウス』を禁書に...その流れはナチスとそっくり(パックン)

2022年02月24日(木)17時33分
ロブ・ロジャース(風刺漫画家)/パックン(コラムニスト、タレント)
『マウス』風刺画

©2022 ROGERS-ANDREWS McMEEL SYNDICATION

<名作『マウス』を、米テネシー州の教育委員会が禁書に指定したが、女性のヌード描写などを理由に歴史的な罪を伝えない決定は正当なのか>

ナチスドイツはユダヤ人などの大虐殺や近隣諸国への侵略を行う前、まず表現・思想の自由を抹殺しようとした。その代表的な手段は公共の場で書物を焼却する「焚書(ふんしょ)」だった。

風刺画ではその恐ろしい歴史が再現されている。本を燃やしているナチス将校の1人はWhat if a Holocaust survivor’s son decides to write a graphic novel?(ホロコーストの生存者の息子がグラフィックノベル〔長編コミック〕を描いたらどうする?)と、自分たちの罪が後世に伝わることを恐れているようだ。

もう1人はRelax... The Tennessee school board will have our back!(大丈夫。米テネシー州教育委員会が守ってくれるぜ)と、安心している様子だ。

作者の親の実体験を基にしたグラフィックノベルの『マウス──アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(邦訳・晶文社)はピュリツァー賞も受賞した素晴らしい作品。1人目の将校の心配は妥当だ。だが最近、テネシー州マクミン郡の教育委員会がこれを禁書に指定したのも事実。ナチスの罪は子供たちに伝わらないという、2人目の安心も妥当のようだ。残念ながら。

教委の本当の狙いは歴史を隠すことではない。禁書の理由として挙げられたのは、作品に登場する8つの不適切な言葉と女性のヌード描写だ。きれいな言葉遣いで虐殺の話を! 罪は野放しでもいいから、裸は隠せ! という方針のようだ。

ちなみに、同作の中ではナチスが猫、ユダヤ人がネズミとして描かれているので、風刺画もそれに倣っている。普段だったらここでダジャレでも入れたくなるけど、題材が重いので、我慢しマウス!

規制対象はかつてのナチスと同じもの

学校や公共の図書館から特定の本を排除する動きはテネシー州だけではなく全米で加速している。特に狙われているのは性的な内容、性的指向、ジェンダーの自己認識などに関する書物。保守的な保護者グループは、校則や法律によってこれらを禁じ、違反した図書館員に刑事罰を科すことを呼び掛けている。

不思議にも、表現の自由の象徴である書物を自由に閲覧させたくないそんな組織の代表格はMoms for Liberty(自由を推進するママたち)と名乗っている。皮肉だね。

実は、ナチスドイツで最初に起きた大規模な焚書も、同性愛やトランスジェンダーなど、性的な内容に関する書物を標的にしていた。それからユダヤ教徒のもの、反戦主義のもの、ドイツを批判するものなどへと禁止の領域を拡大させた。そんな歴史は繰り返される前に打ち止めにしたい。

ちなみに『マウス』は、話題性と禁書指定への反発からいまバカ売れしているようだ。どうか、僕の本も禁じていただけないかな......。

プロフィール

パックンの風刺画コラム

<パックン(パトリック・ハーラン)>
1970年11月14日生まれ。コロラド州出身。ハーバード大学を卒業したあと来日。1997年、吉田眞とパックンマックンを結成。日米コンビならではのネタで人気を博し、その後、情報番組「ジャスト」、「英語でしゃべらナイト」(NHK)で一躍有名に。「世界番付」(日本テレビ)、「未来世紀ジパング」(テレビ東京)などにレギュラー出演。教育、情報番組などに出演中。2012年から東京工業大学非常勤講師に就任し「コミュニケーションと国際関係」を教えている。その講義をまとめた『ツカむ!話術』(角川新書)のほか、著書多数。近著に『大統領の演説』(角川新書)。

パックン所属事務所公式サイト

<このコラムの過去の記事一覧はこちら>

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story