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岸田少年はどのように「ニューヨークで差別された」のか?
岸田首相は荒井元秘書官のLGBTQ差別発言に関連して自らのNYでの体験に言及した Kim Kyung-Hoon-REUTERS
<被差別体験が政治家を志す原点だとしても、日米同盟強化を打ち出すのならその屈折を引きずるべきではない>
岸田首相は、自身の「(同性婚を認めると)社会が変わってしまう」という発言や、荒井勝喜元首相秘書官をLGBTQへの差別発言で更迭したことに関連して、2月8日の衆議院予算委員会で、「私自身、ニューヨークでの小学校時代に(日本人という)マイノリティーとして過ごした経験がある」と述べました。
この発言について、岸田氏は「まだ、こだわっているのか」という印象があります。というのは、このニューヨークでの小学校時代の経験について、かつて岸田氏は「政治家を志した原点」だと述べていたからです。
岸田氏は、2020年9月に出版した著書『岸田ビジョン』の中で、「アメリカでの差別体験」を語っています。通産官僚(後に政治家)だった父親の駐在に帯同した岸田少年は、小学1~3年までの間、ニューヨーク市クイーンズ区のパブリックスクールに通学していました。そこで、岸田氏は差別を経験したと話しています。
具体的には、クラスで動物園に行った時の話が紹介されています。教師から「隣の子と手をつなぐ」ようにと指示があり、岸田少年は隣にいた白人の女の子と手をつなごうとしたそうです。しかし、彼女は眉をひそめ、一向に手を繋いでくれなかったというのです。その時の彼女の表情を岸田氏は今でも鮮明に覚えており、この出来事が「政治家を志した原点」だというのです。
被差別体験が政治家の原点
それにしても、「政治家を志した原点」というのは重大です。もちろん、差別のない世界を作りたいという意味での「原点」かもしれず、そうであれば立派なことです。また、岸田氏の「被差別体験」が、アメリカへの屈折した感情となることで、対米外交の上で判断を誤るという可能性は少ないと思います。
ですが、日本の首相が、少年期にアメリカで「差別を受けた」とし、それが「自分の政治家を志した原点」だというのは、やはり深刻な問題です。なぜかと言うと、そのエピソード自体が国の威信に関わるからです。
国の威信と言うと少々大げさですので、もう少し具体的に考えてみましょう。仮に1960年代の前半にニューヨークのクイーンズで、当時の岸田少年が「白人の女の子」に差別を受けたとしたら、大きく分けて2つの原因が考えられます。
まず想起されるのが「大戦の遺恨」です。戦後まだ20年を経ていない当時は、アメリカ社会には「旧敵国日本」へのネガティブな感情が色濃く残っていた時代です。少女の場合、その父親または親族が太平洋戦線の帰還兵であった可能性はあるし、親族に戦没者がいたかもしれません。
仮にこの旧敵国への悪感情があったとしたら、2023年の今日、これを和解へ持ち込んでおくことは必要です。戦後日本が西側同盟の一員として、そして平和国家、民主国家として模範的な歴史を辿ったことに胸を張りつつ、岸田少年が受けた屈辱を清算することは大切なことです。日米離反工作に対して強い対抗措置になるでしょう。
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