コラム

アメリカ「国旗保護法」に見る、国旗を焼く行為と表現の自由の議論

2021年02月04日(木)15時30分

これはあくまでアメリカの話ですが、その理屈には普遍性があると思います。その一方で、話としてはかなり抽象的です。もっと言えばやや理念的で「複雑な議論」に聞こえるかもしれません。複雑というのは、国旗を守りたいという直感から破却への懲罰を当然とする立場に対して、普遍的な言論と表現の自由という理念を大切にする立場が争うことになるからです。

その場合に余程注意をしないと、直感的な意見を批判するにあたって、理念的な思考のリテラシーが欠けているという侮蔑的な批判が暴走する危険があります。そうなると、結果として国旗擁護論の側が態度を硬化してしまって、典型的な分断の回路に入ってしまう可能性があります。反対に、直感的な論を恐れるあまりに、理念を丁寧に説明するのを忌避するという現象が起きるかもしれません。

また、今回のように政治と結び付けた動きとなれば、直感的な論の方が集票には手っ取り早いし、また論争が過熱すれば敵味方の峻別が加速するなどの理由から、さらに粗雑な議論が横行することになります。大変に注意が必要な問題です。

ところで、この議論を行うに当たってタイミングが悪いというのは、選挙の季節には馴染まないというだけでなく、アジアにおける政治と軍事の情勢の問題があります。

民主主義のリーダーとして

アジアにはいまだに独裁体制の国家が多くあります。集団指導であれ、非世襲であれ、スカリア判事の言う「王」が支配する国が多いのです。また、せっかく民主政体を作っても、それをひっくり返して「王」が登場しそうな国もあります。それとは別に、民主制であっても極端な感情論としてのナショナリズムを行動様式としている国もあります。

そんななかで、アジアで最初に19世紀の時点で不完全ながらも民主政体を実現し、紆余曲折を経つつ自由と民主主義の同盟の中核を成している日本という国は、やはりスカリア判事の言う「言論と表現の自由」を維持する責任があると思います。

もっとピンポイントの議論をするのであれば、例えば民主制を主張して投獄されたり、自宅軟禁を受けている人がアジアには大勢います。彼等にとって、少なくともアジアの中で日本が「言論と表現の自由の観点から自国国旗の破却を罰しない」という政体を持っているということは、そうでなくなった場合と比較すれば希望になると思います。

また、トランプの去った後のG7においては、首脳外交を通じて真剣に自由と民主主義の価値観による同盟強化を進めることになります。その際に、菅首相はアジアを代表してG7を主導するにあたって、やはり「完全なる言論と表現の自由」を誇れるようにした方が、リーダーシップが発揮しやすいのではないかと思います。

確かに自国国旗の破却という行為は常軌を逸しています。個人的にそうした行為を肯定する人は少ないでしょう。ですから、「それすらも許容するのが自由と民主主義」だというのは少々「複雑な」議論に聞こえるのは理解できます。けれども、重要な問題ですから、賛否両論を丁寧に比較することが必要です。今は結論を急いだり、制度を変更したりする時期ではないと思います。

ニューズウィーク日本版 世界が尊敬する日本の小説36
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年9月16日/23日号(9月9日発売)は「世界が尊敬する日本の小説36」特集。優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米CB景気先行指数、8月は予想上回る0.5%低下 

ワールド

イスラエル、レバノン南部のヒズボラ拠点を空爆

ワールド

米英首脳、両国間の投資拡大を歓迎 「特別な関係」の

ワールド

トランプ氏、パレスチナ国家承認巡り「英と見解相違」
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story