コラム

マリッサ・メイヤーのヤフー電撃移籍は異例の人事なのか?

2012年07月18日(水)12時29分

 グーグルの創業から「20番目の社員」で、サーチエンジンやGメールなど多くの商品開発に関与すると共に、広報担当的な役割も果たしてきたマリッサ・メイヤー前副社長は、7月17日付けで、ライバルとも言うべきヤフーに移籍しCEOとして経営の指揮を執ることになりました。アメリカでは大きな話題になっている事件ですが、ではこの「電撃移籍」というのは異例なのでしょうか?

 まず「女性のIT企業経営者」ということですが、現職のCEOとしてはメグ・ホイットマン(イーベイのCEOから政界転進に失敗後、HPのCEOに就任)であるとか、IBMのバージニア・ロメッティ(マーケティングを中心に同社の叩き上げ、本年1月よりCEO)などが活躍しており、その前にはHPのCEOとしてコンパックとの合併とIT製品の大衆化を指揮したカーリー・フィオリーナなどの例もあります。もはや全く異例ではありません。ちなみに、ヤフー社では、キャロル・バーツという女性CEOが在任したことが既にあります。

 明らかな「同業他社への移籍」ということですが、これも普通のことです。技術や情報の漏出が懸念されるかもしれませんが、そこには明確な線引きがあり、前職で知った機密情報や具体的な技術情報などは守秘義務契約で縛る一方で、個人の能力に属するマネジメント力、専門分野での知識や知見といったものは移籍先で存分に発揮してもらって構わないという考え方があります。大きな企業のトップともなれば「怪しい」となれば自分から弁護士に相談して進めるということもあり、大きな問題になることは少ないのです。

 発表の翌日に就任、つまり「周知期間なし」というのもアメリカではよくあることです。"effective immediately"(発表と同時に直ちに実施)という言葉がで表される、この「即時実施」というのは、こうした経営層の人事でもそうですが、法令の施行や規則の改正などでよく使われます。社会にスピード感を出そうというよりも「いいことはすぐ実施するのが当然」という感覚でしょうか。

 今回の場合、移籍の発表と同時にメイヤーCEOは入籍し、妊娠していることも発表しています。つまり「産休取得を前提とした新規採用」となるわけです。これも、特に経営層や専門職層では決して異例ではありません。良くあるのは、妊娠を契機に前職をスパっと辞め、産休明けに本格稼働という条件で転職するというパターンです。

 例えば、2007年にNBCからCNNに移籍したニュースキャスターのキャンベル・ブラウンの場合は、7月に前職を離れて12月に出産、2月に移籍先でのレギュラー出演スタートという順序を踏んでいました。MBAを取って新規求職に成功したところ、ちょうど妊娠が分かったので「出産後に採用」という条件で雇用先と合意したというようなパターンなど、転職やキャリアの節目で出産するというカルチャーは既に確立しているのです。

 ちなみに、メイヤーCEOの場合は、ネット企業の「老舗」でありながら業績の低迷の続いているヤフーに関して「顧客にアピールするサイトへの革新」や「フェイスブックやグーグルに対抗できる広告収入モデルの確立」といった改革を迅速に進めなくてはなりません。スポーツやファイナンスなど「PVはあるのに、収益につながっていない」ジャンルのテコ入れなどは「待ったなし」だとも言われています。

 そんな中、業界では、改革は100日で成果を出さなくてはならず、10月に産休が予定されているメイヤーの場合は、ちょうどそこがメドになって効果的だ、などという意見もあるようです。もっとも本人は、産休中もSNSなどITで仕事はできるので、ハンデは感じないと発言しています。

 いずれにしても、今回の移籍劇はシリコンバレーでは十分に「あり得ること」であって、特に「異例な」部分はありません。では、その背景にあるのは何なのでしょう。1つには、グーグルの経営陣の中で、エリック・シュミット会長からラリー・ペイジCEOへの権力移譲が進んでいるという見方があります。ペイジが経営に独自色を出す中で、シュミットに近かったメイヤーは新天地を求めて去ったというのです。

 その他には、グーグルとしてネットの広告ビジネスなどで独占が進んでしまうと、かえって独占禁止法に引掛ってビジネスがやりにくくなる、そのためにはこれ以上ヤフーが弱体化すると困るのでメイヤーというエースを出したという説、更にはヨーロッパを中心に渦巻く「グーグルの広告ビジネスはプライバシーの侵害」という訴訟圧力に対して、「グーグル流の最先端マーケティング」をヤフーにも広めて業界全体の力を高めようという説など、グーグル側に何らかの意図があるという解説もありますが、こちらの方は少々マユツバかもしれません。

 何と言っても、ヤフーとしては株主の圧力で毎年コロコロCEOが変わる事態に終止符を打ちたいので、相当に頑張ってスカウトしたというのが常識的な理解なのだと思います。いずれにしても、メイヤー新CEOが「最初の100日」で改革に成功するかどうか、見守ってゆきたいと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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